2020年1月29日 水曜日 新潟県糸魚川市 「塩の道広場」〜「糸魚川駅」 | ||||||||||||||
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10:35 | 10:54〜12:09 | 12:28・12:48 | はくたか | 13:39・13:54 | サンダー バード |
16:36・16:56 | スーパー はくと |
17:18・17:25 | のぞみ | 18:31・18:44 | 18:58 |
9時50分ごろホテルを出て、10時54分発の電車に乗る。時間があるのでゆっくり歩いた。
小雨が降ったり、止んだりしていた。
街角に小さな公園があり、「塩の道ガイド」という看板があった。
江戸時代や明治の中期まで、北前船の物資を牛やボッカ(背負い運搬人)が運んだ道。
ボッカは50`の荷物を、一日30km運んだと説明されている。↑
広場の牛と牛つなぎ石。
「日本の町並み集落」川村善之著 淡交社 平成22年発行
千国街道
千国街道は日本海岸の糸魚川から信濃の松本を結ぶ重要な幹線道の一つ。
この道がよく知られているのは上杉謙信が、宿敵甲斐の武田信玄に塩を送り届けた逸話からである。
千国街道はその『塩の道』であり、江戸時代にはいっても海産物や漆器、木綿やたばこなど物資の交流が行われ、多くの人も往来した。
糸魚川は七つの漁港を持つ海岸の町。
『古事記』や『万葉集』にも伺える歴史の町でもある。
塩の道広場から糸魚川駅に進むと「良寛詩碑」という看板が建っていた。
看板には、
良寛さんが玉島の円通寺からの帰途、糸魚川で一宿したこと。それに、相馬御風のことが書いてある。
「歴史と文学の回廊」尾崎秀樹監修 ぎょうせい 平成3年発行
郷里に根づいた文学者
「都の西北・・・・・」ではじまる早稲田大学校歌の作詞者・相馬御風(そうまぎょふう)は糸魚川の出身である。
大正15年、御風は東京を去って、郷里糸魚川に隠棲した。34歳である。
昭和25年、68歳で死ぬまで。ついに糸魚川の地を出なかった。
糸魚川に退住してからも、数多くの文章・短歌・歌謡を残している。
なかでも「大寓(たいぐ)良寛」をはじめ、良寛研究の著作が多い。
御風は、越後の人良寛を生きる指標としていたのである。
商店街にJAがあり、
JAの名称が「ひすい」。
全国のJAは地名だと思っていたが、
そのうち岡山県のJAも合併すれば、「JA桃太郎」とかになるかも知れない。
電車まで時間があるので
(糸魚川駅前)
日本海に向う。
この道をまっすぐ行けばいい。(
糸魚川駅前を直進すれば360mで日本海。
「駅前海望公園(市庁舎跡)」に着いた。
国道8号線と日本海。
奴奈川姫(ぬなかわひめ)像。
古事記に出てくる人で、美人で賢かったそうだ。
その後、糸魚川駅まで戻った。
糸魚川駅前風景。
雨さえなければ、
日本海も日本アルプスもきれに見えたのに、ちょっと残念だな。
えちごトキめき鉄道日本海ひすいライン(糸魚川駅〜市振駅・往復)
2020年2月6日