2016年9月17日 土曜日 | 見崎 | 寺間 | 福浦 | 汁方 | 神東 | ||||||
笠岡市神島 神東地区 | 12:10頃 | 12:30頃 | 13:00頃 | 13:10頃 | 13:20頃 | ||||||
笠岡市指定重要無形文化財 「神島天神祭り」の準備・神東地区 |
神島瀬戸の「法界地蔵菩薩」。
その隣に大師堂があり、
神島88ヶ所霊場はこのお大師さんからスタートする。
巡礼者が4人、
軽四でお参りに訪れた。
お大師さんの東側に渡船場があった、今はスベリが残る。
スベリに神東のお渡り船があり、老若男女の人で祭りの準備をしていた。
神東同志会の船も牡蠣船になった。
神島天神祭り・お渡りから石船は消えた。
神東同志会のお渡りに使う石船は、
石船の本場であった倉橋島や能美島のうち、能美島から来ていたそうだ。
その話を含め、
神東同志会の長老氏からお聞きした事(2016年9月17日)を以下に記す。
能美島の船頭さんは、とうの昔に本業で石船を使うのを止めていた。
神島の天神祭りが好きで、年一度の祭りのためだけに石船を保有していた。
船本体は動いていたが、電気系統に故障が発生するようになった。
既に、石船の故障や修理に対応する店も人も部品も無くなっていた。
船頭さんの善意で石船が出来ていたが、そうゆうわけで、石船は廃止となった。
一番残念がったのは能美の船頭さんだった。
能美の船頭さんは天神祭りが大好きなので、石船が廃船後は牡蠣船でやってくる。
損得を抜きにして協力してくれ、本当に感謝している。
中村はフェリーでお渡りをしていたが去年、中止になった。
船(フェリー)が段取りできなくなった。
どの船会社であろうと、余分に保有することはできない。
(フェリー中止も仕方がない)
中村はトラックで宮入りする。
(島だった時)
天神へは一番西の見崎から順に宮入りしていた。
見崎、寺間、高、福浦、汁方、中村、最後に地元の神東が入る。
お渡りは波が無かった。(笠岡湾を通るため)
(島で無くなった以後)
見崎の先からは波がある。
(見崎・寺間は)台風が来ると中止したり、途中で引き返したり、難儀なことが増えた。
今の若いもんは祭りが、好きなもんと嫌いなもんに分かれる。
好きなもんは、とっといてもどんどんやってくれる。
行きすぎることがないように(事前)報告だけはしてもらっている。
嫌いなもんは、見て見ぬふりをする。
こうゆう世の中なんで仕方がないのかもしれない。
つぎ・「神島天神祭」お渡り・見崎達磨会
2016年9月20日