2016年9月1日   木曜日       9:49〜12:49                
笠岡市茂平(もびら)   
           


昨日、城見公民館で郷土史本の打合会議があり、

本の添付物として散策マップに必要な写真を撮りに茂平に来た。







ヒルタ工業の工場付近、「小迫新開跡地」。





小迫新開では戦後の一時、塩田だった。












高丸城跡。




















白砂青松であった「苫無」海岸付近。















阿浜は通称「さらやま」と呼ばれていた。皿を作っていた。


「吉備焼」。
















明治末に焼き物を始めた。






窯元の水川さんが明治・大正・昭和の跡を案内してくれた。














これは土をふるいにかける場所。


















吉備焼が茂平で始めた理由の一つに粘土があったこと。

その粘土を写真左の円形の井戸で最初にふるいにかけ、右の井戸で二度目のふるい、それを右の苗代に似た場所で練って焼き物の土にするそうだ。



















「登り窯」(のぼりがま)

明治40年頃から昭和40年まで使っていた。















「重油窯」と「石炭窯」。

















昭和40年頃の吉備焼の海岸風景。





波返しは、役にたつ期間は短かった。


かつては窯の前まで砂浜がつづき、商品は砂浜から船で出荷していた。

波返しが出来、数年で海はなくなった。
















元・茂平港。














龍王さまに行く。


















これが瀬戸内海地方には数えきれないほどある「龍王」のうち、

非常に珍しい海の「龍王」。





茂平の「龍王さま」(りおうさま)は潮が満ちたら海底にあった。
















珍しいといえば「社稷」の碑。





中国では国家を意味する社稷(しゃしょく)が茂平にある。碑は日本各地にある「地神」と同類。


現在編集中の「城見の歩み」によると、

笠岡市茂平3基、用之江1基、有田1基。福山市大門町5基、加茂町1基。

そのすべてが同時期で大正時代のもの、













「とんまん土手」または「とんま」。








現在は土手の中央を県道井原福山港線が横断する。

↑写真石垣まで波が打ち寄せていた。






つぎ・茂平史跡巡りAB



2016年9月3日