2016年5月20日     金曜日  10:30〜11:30
浅口市寄島町安倉                                                     
 


寄島漁港に来た。












右にあるドンゴロスに似た袋にはホタテの貝殻が詰まっている。






カキ養殖は、これからホタテの貝殻を海に吊るす準備かな。
















寄島西安倉。














中安倉。

安倉八幡さんの前。















元・寄島東小学校。

金次郎さんがいる。「二宮尊徳先生幼時之像」


この像が建ったのは、古い。




というのは台座に「御大典記念」で、昭和3年9月建立とある。


戦前は日本中のすべての小学校にあったであろう金次郎像も、元をただせば時期が集中している。

それが、昭和7年〜15年。


昭和3年は極めて早い時期の金次郎さん。









ところで、

今日寄島に来た目的はミカンの花。




♪ミカンの花が咲あいているぅ〜〜

あの歌。







みかんの花が 咲いている

思い出の道 丘の道

はるかに見える 青い海

お船がとおく 霞んでる





大好きなこの歌の雰囲気の場所に行ってみたくなった。




最初、頭に浮かんだのが生口島や高根島。それに伯方島。

でもお金(有料道路)が掛かるので止め、手軽に行ける寄島に決めた。














もう一つ訳があり、

ミカンの花はもう遅い。半分以上散っているだろう、という思いもあった。

















えいちゃんが子供の頃、

農政の奨めもあり父は段々畑にミカンを植えた。

ミカンは年中が緑で、春に花を咲かせ、夏に青い実をつけ、秋に熟れた。




ミカン畑から見る笠岡湾は、ほんとうに綺麗だった。




黒い煙を はきながら

お船はどこへ 行くのでしょう

波に揺
られて 島のかげ

汽笛がぼうと 鳴りました




笠岡湾を行く船はどこへ行くのだろう?

いつも、そう思いながら船を見ていた。



その当時の笠岡港は、福山や尾道への航路があった事を知ったのは

えいちゃんが海を眺めていた時から数十年が経っていた。













何時か来た丘 母さんと

一緒に眺めた あの島よ

今日もひとりで 見ていると

やさしい母さん 思われる



ミカンは木にいっぱいの実がつく。摘んで、ホボロに入れ、天秤棒で担ぎ、斜面の畑を下る。

持ち帰ったミカンは長屋の暗い棚に保管し、秋から春まで出荷していた。





今は父も母も亡くなり、故郷のミカン畑は山になり、海は消滅してしまった。




つぎ・ミカンの花(寄島)A



2016年5月20日