2015年8月1日 土曜日 石川県七尾市矢田 七尾城跡 | ||||||||||
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6:14〜7:24 | 9:07〜10:25 | 12:00頃 | 14:00頃 | 15:00頃 | 18:00〜 |
七尾城の歴史資料館をカーナビで向かっていたが、
ついつい
道路わきにあった「七尾城」の大きな看板を見て、その道に入った。
それが失敗の元で、山中を車で徘徊するはめになってしまった。
20〜30分間、カーナビは一声も発せず、もし道が絶えたらば引き返そうと思った。
しかし、
道は絶えず小公園に着いた。展望台が見えた。
「七尾」とは七つの尾根から、という地名の説明のほか、
城主・畠山家の家系、上杉との戦いなど。
これが展望台から見る七尾湾。
七尾市街地、うっすらと能登島が見えている。
七つの尾根。
展望台は誰も展望に訪れないだろう、という雰囲気が蔓延していた。
とにかく今日はもう、
七尾の市街地まで行った後、歩いて七尾城に行くのは止めよう。要らぬ時間を消化し、登る気力もなえてきた。
展望台からは下りの道だった。
突然、駐車場があり
しかもテントに現地ガイドさんが待機していた。
七尾市街地に出るのが先決と思っていただけにほっとした。
道べりにあった「七尾城」という道しるべは、嘘ではなかった事になる。(おお迷惑だったが)
いい塩梅に、ほぼ同時に着いたグループがガイドさんと登りだした。
えいちゃんは、ある程度の下調べをした場所ではガイドさんの世話にならない。
その訳は、
ガイドさんのペースで案内されるので、かえって見たいところに行けなくなる可能性が多いから。
特に、場所が広い場合と、時間に制約がある場合は100%言える。
杉林の中に石垣が見えてきた。
この場所で、訪問者全員が七尾城に来たことを実感する。
七尾城は「日本100名城」であり、「日本五大山城」。
城跡も標識も、よく整備されている。
本丸への道。
二段の石垣を登ると、
そこが七尾城の本丸跡。
霜は軍営に満ちて秋気清し
数行の過雁 月三更
越山併せ得たり 能州の景
さもあらばあれ 家郷の遠征を懐ふ
上杉謙信の得意げな息遣いが届くようだ。
城は戦国末期に廃城となった。
山城であった故に、城は棄てられたまま現代に残っている。
本丸を中心に、
桜馬場、二の丸、三の丸と呼ばれる出丸も石垣まるごと残っている。
謙信が手にしようとした七尾城は、何度も押し返され
戦勝でなく、内紛による落城といえる戦でやっと手にした。
その半年後上杉謙信は急死している。
城は大きく、三の丸は本丸から結構離れている。
調度丸うえの石垣。
この石垣群を見るだけでも登城する価値がある山城だ。
つぎ・七尾市御祓川〜一本杉通り
2015年8月7日