2015年8月1日 土曜日 岐阜県大野郡白川村 (世界遺産白川郷合掌造集落) | ||||||||||
郡上八幡 | ![]() |
白川村 | ![]() |
雨晴海岸 | ![]() |
七尾城跡 | ![]() |
七尾市 | ![]() |
輪島(泊) |
6:14〜7:24 | 9:07〜10:25 | 12:00頃 | 14:00頃 | 15:00頃 | 18:00〜 |
野の花や庭の花が咲いて綺麗な白川郷荻町。
稲も育っている。
「長瀬家」や「神田家」ふきん。
最大級という「長瀬家」前。
長瀬家から明善寺あたりが白川郷の中心場所。
蕎麦屋や飲み物店が多い。
秋の実った風景、冬の雪景色、今日以上にすばらしい眺めだろう。
大家族制が崩壊した後、白川郷の合掌集落は家々による有形文化財を守る意思によって今日まで生活保存されてきた。
じつに立派な文化財だ。
「白川郷記念写真」の場所。
ここで記念写真を撮れば、
こちらが背景となる。
明善寺ふきん。
観光客も見事な光景を前にしては、立ち止まり進めない。
これが重文の明善寺。鐘楼も藁屋根だ。
そして中央通り。
よく見た、満足した。ぼちぼち去ろう。
橋を渡って大駐車に戻った。大型観光バスも増えていた。
家族制度は明治の末期ごろから崩壊しはじめ、
大正9年の調査では20人以上の家は5戸で、
昭和10年の国勢調査ではもっとも多い遠山家でも17人。
高齢未婚者の数も減少し、
家父長の権力、家族の共同体制も弱まり、次三男の運命がひらけ平等に生活できるよう変貌していった。
白川の大家族は山奥なるがゆえ昔の生活をとどめているのでなく、時代に即応しながら生きる形をかえてきたのである。
「岐阜県の歴史」より
ここは大観光地であることを実感し、納得をした。
世界遺産よさらば!
つぎ・雨晴(あまはらし)海岸
2015年8月9日