2015年4月23日 木曜日 | 笠岡 | ![]() |
梅田 | ![]() |
富田林 | ![]() |
千早城・金剛山 | ![]() |
河内長野 | ![]() |
難波(泊) | |||
大阪府南河内郡千早赤阪村 千早城址 | 7:53 | 11:49 | 12:52 | 14:06〜16:43 | 17:30頃 | 18:00着 |
バス停のすぐ隣に千早城跡の登城口はあった。
石段から登城は始まる、八重桜が咲いていた。
千早城は戦後すっかり存在感を無くしたが、いちおう「日本100名城」に指定されている。
古典文学・太平記では楠木正成が大活躍した城として有名。
太平記の楠公はスーパーマン以上の活躍で、まさに”大楠公”の名がふさわしい。
しかし
そのことを正史として学校で教えた時代があり、誤った歴史観や皇室感を植え付けた。
戦後、歴史や国語や道徳の教科書に登場することなく
そして音楽の時間
♪青葉茂れる桜井の・・・・、
と歌われることもなくなった。
千早城に登城した。
城址らしきものは無い。
寂れた社殿が建っていた。
大楠公が知恵の限りをつくし、鎌倉の大軍を敗退させた千早城。
戦前は聖地で今はさびしい千早城。
急峻な山肌が唯一、ここを山城だと感じさせた。
金剛山方向へ進む。
ここにも千早城跡の碑がある。
千早城は金剛山系を利用した山城で横に長く、奥に深く
どこまでもつづく。
あっ本丸はまだ先だ。
結局、どこが本丸かわからないまま金剛山へ登っていく。
2015年4月26日