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2015年2月19日 木曜日 | 笠岡 | ![]() |
博多 | 〜 | 志賀島 | 〜 | 福岡(泊) | |
福岡市東区志賀島 | 6:59 | 9:07 | 13:50〜15:30 |
志賀島の周回道路は、その名も「金印海道」。
あっゼットフォイルが行く。
対馬〜博多の旅客船だ。
金印公園に着いた。
公園の前が海だ。
1900年前の日本は文字も無く、土人に近い状態だった。
この200〜300年後、大陸(または半島を経由して)から文字が入った。
金印公園はいい香りがしていた。
白梅が咲いていた。
記念碑を中心に遊歩道も整備されている。
金印公園から先にある蒙古塚に向かって進む。
玄界島が見えてきた。
金印海道沿いに「蒙古塚」はあった。
昭和の初め、元軍の戦死者の供養塔を当地の寺院が建立した。
”蒙古塚”という名称にはひっかかる。
モンゴル人を指し、主体となった漢人や朝鮮人が抜けているように思う。
塚の前の海辺には歌碑がある。
志賀島は太宰府に近く、古代より重要な島であったことが伺える。
歌碑の隣には石仏。
そして志賀港付近まで戻ってきた。
港のまわりは小さな町を成していた。
玄界灘。
この道が志賀島と海の中道を繋ぐ。
左が玄界灘の荒波、右が博多湾の漣。
橋は砂洲の上に出来ている。
せっかくの美しい砂洲が橋で景観が失われている。その点は残念だが、砂州は最大限守られているようだ。
なお元寇の時代の志賀島は、離島でなく砂洲で陸地化になっている。
つぎ・博多ふ頭〜大博通り
2015年2月23日