2015年1月10日   土曜日      吉備津神社   最上稲荷    奥ノ院   総社宮    五重塔 
岡山市北区高松  備中高松城跡   8:25    10:20    11:20   13:30    14:30



稲荷山線から300m程離れた、高松城跡に寄り道する。












去年の6月ごろ、

高松城はぼっけいフィーバーした。




NHK大河ドラマ”軍師官兵衛”が、唯一とも言える見せ場のシーンが始まったから。


黒田官兵衛は1年間のドラマに無理がある、芝居になるのは土牢と高松城水攻め前後だけ。




















水攻め中の本能寺の変、

動転して、泣き沈む羽柴秀吉。



ここから「中国大返し」までの3日間前後の出来事が、秀吉や官兵衛や清水宗治がいちばん輝くときであり、

今でも日本歴史の花のような部分になっている。





















あの時、テレビで

岡田 准一演じる黒田官兵衛は

「喜びなされ」と、秀吉に進言した。



あの元気いっぱいの言葉で、真実味が落ちてしまった。


戦国の有力武将は親兄弟をも疑い、殺し合っている。(秀吉の場合は養子・秀次一族の抹殺)



今から400年前

この高松城の築堤で、親族でもない黒田官兵衛は言葉を選び抜き、慎重な表現で、秀吉に話しかけたに違いない。

 

























あまりに有名な辞世のうた。





うたの通り、

”武士の名を・・・残し”ている、清水宗治。















羽柴秀吉の本陣から見る高松城。





お城が孤立無援で、

そのお城でさえ、水で分断されている。


これでは城の将も兵も絶望の淵だ。











この石碑は、

秀吉の水攻めに備え築堤した部分があったようだ。












高松城のまわり、北側の最上稲荷方面。










この2枚の写真↑↓で見える平面範囲。その全てが水攻めで湖状態になった。




北は最上稲荷の麓まで。




こちら南の高松駅方面。






南は、

遠くに見える最上稲荷の大鳥居。大鳥居がある場所も水に浸かった。




つぎ・最上稲荷



2015年1月12日