2014年6月23日   月曜日    福山    小松    別子銅山・マインピア別子     来島SA   福山 
新居浜市立川町 「マイントピア別子・東平ゾーン」   8:10    11:00頃   12:21〜15:55     17:10頃    19:00
愛トラベル福山支店 「東洋のマチュピチュ天空の産業遺産別子銅山 一攫千金砂金採り体験」           



東平(とうなる)ゾーンの駐車場に着いた。右側はレンガの擁壁だ。









江戸時代、時は元禄

大阪の泉屋(住友家)は備中吹屋にある吉岡銅山の産出が減っていくことに苦慮していた。


そこに長兵衛という山師が現れ、伊予の山脈の山頂で露出している銅鉱の話をした。

泉屋は川之江の代官所と交渉して採掘を始めた。


採鉱の初期は露出していたので産出が多かったようだ。


しだいに地下の坑道となり、

山の高さ1.000m。地下へ1.000mと呼ばれるほど深く掘った。(日本の場合、石炭もこうゆうパターンが多い)







閉山は昭和48年(1973)







大正時代頃に鉱山の採鉱本部があった場所、今駐車場。


本部を中心に全盛期には3.000〜4.000人の住民が暮らしていた。









まず「東平歴史資料館」にはいる。
















娯楽場。













学校。















住宅。















次にトンネルにはいる。










トンネル内は運搬機器の展示。





























トンネルを出るとアジサイ。見頃はまだ先。ここは標高が高いだけに開花も遅い。

















ガイドさんは下を指しながら説明を始めた。

















おおおお

ここが観光本などで見る銅山跡だ。
















急峻な場所に赤レンガの遺構が残っている。















いわゆる

自称・東洋のマチュピチュの場所だ。




















最大の遺跡、索道停車場跡。総煉瓦造り。






では、その場所に下りて行こう。



つぎ・「東洋のマチュピチュ・別子銅山」マイントピア別子・東平A



2014年6月27日