2014年10月9日  木曜日     静岡県島田市金谷   旧東海道金谷宿               
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「大井川橋」、昭和3年完成で日本土木遺産に指定されている。







この橋が完成するまで「越すに越されぬ」大井川はどうやって越していたのかといえば。


まず明治維新前後、「川越」制度が廃止され自分の脚で渡る人や、船で渡るようになった。

その後、蓬莱橋や鉄橋ができた。




川越人足はおよそ1200人〜1400人いて失業した。主に牧の原台地でお茶の開墾に転職したそうだ。



学校の教科書で習った「江戸を防衛するため橋を架けなかった」は嘘という事になる。


その訳は多摩川には橋があった事や、いかに言っても江戸と大井川は距離があり過ぎて「江戸を防衛」はヘンな話だった。






川越制度が廃止すると、通常流れが浅い大井川は・・・船でなく・・・簡単に歩いて渡っていたようだ。













橋の中央位の眺め。












有料の蓬莱橋と違い、

こちらはジョギングや自転車や散歩の人と行き交う。











広重の東海道53次、描くのは金谷宿もやはり大井川だ。














全長1.026m。

金屋橋は長かった。そしてやはり・・・・えいちゃんには怖かった。渡ってホットした。














島田とは大井川を挟んで宿場町の金谷。















金谷宿も当然「川越」で栄えた宿場町。















渡し場の町並みはほぼ島田と同じだ。












島田と違い遺構は残っていなく、復元もない。












これは川越の町のバス停名、

そのものズバリのバス停だ。近くに日本左衛門の首塚がある。





白波五人男の「日本駄右衛門」のモデルで実在の人物。 金谷でも荒らしたそうだ。









こちらもズバリというか、長いというか、同じく歌舞伎ネタ。














街道の面影は残らないが、かつての東海道53次「金谷宿」の町並み。








つぎ・大井川鉄道新金谷駅



2014年10月16日