2014年10月9日 木曜日 静岡県島田市金谷 旧東海道金谷宿 | |||||||||||||
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5:48 | 6:19 | 〜 | 10:31 | 1050〜11:47 | 13:06 | 13:54〜14:21 | 16:05〜16:34 |
「大井川橋」、昭和3年完成で日本土木遺産に指定されている。
この橋が完成するまで「越すに越されぬ」大井川はどうやって越していたのかといえば。
まず明治維新前後、「川越」制度が廃止され自分の脚で渡る人や、船で渡るようになった。
その後、蓬莱橋や鉄橋ができた。
川越人足はおよそ1200人〜1400人いて失業した。主に牧の原台地でお茶の開墾に転職したそうだ。
学校の教科書で習った「江戸を防衛するため橋を架けなかった」は嘘という事になる。
その訳は多摩川には橋があった事や、いかに言っても江戸と大井川は距離があり過ぎて「江戸を防衛」はヘンな話だった。
川越制度が廃止すると、通常流れが浅い大井川は・・・船でなく・・・簡単に歩いて渡っていたようだ。
橋の中央位の眺め。
有料の蓬莱橋と違い、
こちらはジョギングや自転車や散歩の人と行き交う。
広重の東海道53次、描くのは金谷宿もやはり大井川だ。
全長1.026m。
金屋橋は長かった。そしてやはり・・・・えいちゃんには怖かった。渡ってホットした。
島田とは大井川を挟んで宿場町の金谷。
金谷宿も当然「川越」で栄えた宿場町。
渡し場の町並みはほぼ島田と同じだ。
島田と違い遺構は残っていなく、復元もない。
これは川越の町のバス停名、
そのものズバリのバス停だ。近くに日本左衛門の首塚がある。
白波五人男の「日本駄右衛門」のモデルで実在の人物。 金谷でも荒らしたそうだ。
こちらもズバリというか、長いというか、同じく歌舞伎ネタ。
街道の面影は残らないが、かつての東海道53次「金谷宿」の町並み。
2014年10月16日