2013年8月10日 土曜日 鹿児島県鹿屋市今坂町 「特攻慰霊塔」 | |||||||||||||||
垂水港 | ![]() |
古江 | ![]() |
鹿屋 | ![]() |
串良 | ![]() |
ダグリ岬 | ![]() |
油津港 | ![]() |
飫肥 | ![]() |
都城 | |
7:30着 | 8:20頃 | 9:00頃 | 9:50頃 | 11:00頃 | 12:12〜13:01 | 13:34〜14:29 | 15:58〜 |
古江から鹿屋まで10kmほどある。
その間は、えいちゃん当時とはまったく違う町並みに変わっていた。
笠野原台地には鹿屋体育大学が出来、畑が広がる風景はすっかり消滅していた。
それに
「ようこそバラの街・鹿屋へ」と、鹿屋市はバラの町になったんか!
「鹿屋」といえば「特攻」の町だった!
鹿屋に来たならまず、慰霊塔にお参りせねばなるまい。
「旧鹿屋航空基地特別攻撃隊戦没者慰霊塔」
今日もまた 黒潮おどる海洋に
とびたちいきし 友はかえらず
えいちゃんが鹿屋市に住んでいた当時、飲食店には特攻兵と接していた女将や仲居さんがいた。
鹿屋の飲み屋は、そんな悲しいムードがまだ残っていた。
その頃
鹿屋から飛び立った特攻兵は700人で、2番目に多い知覧が450人、と言われていた。
石碑の908名は訂正されている。
「特攻」の範囲を広げたのだろうか?
それとも、資料そのものを焼き捨て、残った人の口コミ数でそのつど変わっていったのだろうか?
または残った資料を、遺族や国策に考慮することで増えたり減ったりしたのだろうか?
知覧の特攻数もずいぶん変わっている。
何か今でも、「大本営発表」当時を彷彿させる思いがしないでもない。
2013年8月15日