2013年2月20日    水曜日            大分県佐伯市  
笠岡  福山   小倉    大分    佐伯    臼杵   大分 (泊)
7:42    8:14    9:23    11:06    12:11〜15:39   16:08〜17:39   18:32 



佐伯駅ホーム。












構内にある佐伯市の歓迎ポスター。












佐伯駅前風景。最初に駅横の観光センターに行った。





今回の大分行で他都市のマップはいくらか持参している。

ところが佐伯市の市内マップは所持していない。





どの観光本にも佐伯市が取り上げられていない、無視されている。

大分県の旅行本の索引ですら、「さ」の欄に佐伯は登場しない。



現代の旅行本はおしゃれと食べ物と温泉。大分県で言えば湯布院のような場所がページを占める。

名勝・名所・旧跡は角のほうでちょぼっと。








観光案内所で市内MAPをもらって、

まずは興人佐伯工場を目指す。








中川に架かる「海運橋」。





昭和9年佐伯に海軍航空隊が置かれ、「海軍橋」と呼ばれていたそうだ。











旧海軍橋を渡ると左手に「日本文理大学附属高校」がある。










その高校の塀に残る海軍の正門跡。









ゆかりの方々により標識が立っている。















その文理大高校の構内にある壕、

これも海軍の施設址だろう。












左が海上自衛隊のグランド、右手に平和記念館や海自がある。













海自の佐伯基地。













「美国橋」、昭和9年海軍の橋として架けられた。














美国橋の正面に「興人佐伯工場」がある。右に守衛門があり、













左手には

掩体壕(えんたいごう)が見える。






守衛所に記帳すれば簡単な説明書をくれた。









掩体壕の内部。












ここ興人構内には二基が並んで残っている。















コンクリートの上には土を盛って掩体壕であることを隠し、飛行機を守った。








土を盛らずに

隠さずに

ダミー飛行機を展示する掩体壕もあった。




だが、そのことは触れずに

「飛行機を隠していた」という説明が多い。



それこそ「隠しても」なんの得にもならないし、子孫にウソを伝えることになる。










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2013年2月27日