2013年1月16日   水曜日      ホテル発   砲台山 海軍兵学校   音戸汐音   笠岡着
江田島市江田島町   元・海軍兵学校     7:25   8:30頃   10:18〜12:18   13:30頃   16:50着
                       


元海軍兵学校は平日に3回、休日に4回構内見学会がある。

10:30から始まる見学会に参加する。





商店街の八百屋。










海自の県道側のフェンス。











ここが海自の前。タクシーが、いつも一台待機中。








元海軍兵学校で


現在は学校が二つ

「海上自衛隊第一術化学校」

「幹部候補生学校」。










受付に住所氏名を書いてバッジを貰って、待機場所に向かう。










待機する建物には軍艦の模型や海軍の土産グッツがあり、

大画面での自衛隊PR放送をしていた。










10:30がスタートだが

その時ツアー客が10数人飛び込んできた。計20人位での見学会となった。













これが海軍兵学校の「大講堂」。














最上等の御影石でできた大正の建物。











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ドーム状の屋根は音響効果もよく、

説明役の海自OB氏の声も響く渡る。








床も総大理石。












海兵の入学式や卒業式に使われ、現在もほぼそうゆう役目をしているそうだ。












次は”江田島”を代表する「赤レンガ」こと、

海軍江田島兵学校の生徒館に行く。









ガイド氏は景観の説明をはじめた。

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建物も最高の材料を使い、電柱は地中化し、校内を広く配置し、木は桜と松を植える。等々。

そしてゴミは当然ないが、校庭の掃き掃除はいつも箒の跡が見えるようにしておくこと。











赤レンガの隣の建物は昭和の建築だったが、強度不足で平成に建て替えたそうだ。





ここでも

昭和の軍隊は勇ましいことを言うばかりで中味が伴っていなかったことを示している。








赤レンガは明治の建物で、講堂は大正の建物。












赤レンガの内部の廊下。

これは”もっくん廊下”の別名があるそうだ。




NHKのテレビドラマ「坂の上の雲」で主役のモックンが5日間、この廊下でロケしたそうだ。










これは柏島沖で謎の沈没をした戦艦陸奥の主砲。41cm砲で30km届くそうだ。










ガイドの海自OB氏は

「東大や京大は海兵の滑り止め・・・」というような説明をしていたが、ちょっと違うような気がした。


素封家の子弟は大学で、

大学まで進学できない子が海兵・陸士へ進んだと思える。



当時の日本で大学進学できる子女は100人に1人程度であり、海兵・陸士は手の届く範囲での最高エリートであったと考えられる。














ではそのエリートの実際を身近な話で言うてみると・・・・




これは笠岡市の城見小学校の親呼びでの事


えいちゃんの姉の親呼びに出席した母が見たものは

すごい美人の奥さんが一人いたそうだ。


その美人の奥さんの夫が海軍兵学校出であったそうだ。





つまり海兵を出ると、それほどの美人を娶ることができる。






今の若い人には↑、わからんというか、通用しない、・・か?













戦艦大和の48cn砲弾や特殊潜航艇の説明を受けた。


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その後で聖域のような建物「教育参考館」に入る。







教育参考館には

海軍の歴史

歴代の将官や佐官

歴代の校長


将官の着ていたもの、短刀、手にしていたもの、愛用品、手紙などが展示されている。


「杉野はいずこ、杉野はいずや」で有名な広瀬中佐は特に展示が多かった。



戦死や殉死した将兵の手紙や写真も一室を設けて展示していた。











将官は個人毎に人物評や功績を説明してあるが・・・・これには反論したくなる。


どの海軍将官もみな、軍人としてすぐれた功があり、立派な人物であったと書いてあるが




では・・・なぜ戦争に負けたのか? (書かれた通りなら戦に勝つ)

そもそも・・・なぜ開戦したのか?  (書かれたように開明な人なら開戦しない)






国家国民を焼土にした結果責任は「江田島」にも多い。

褒め称えるのはもう少し控えた方がいいと感じた。



つぎ・音戸の瀬戸公園汐音NEXT



2013年1月19日