2013年1月16日   水曜日      ホテル発   砲台山 海軍兵学校   音戸汐音   笠岡着
江田島市沖美町 「砲台山」      7:25   8:30頃   10:18〜12:18   13:30頃   16:50着
                       


では「砲台山スカイロード」を車で登る。














正面の小さな島が「大奈佐美島」で、その左が宮島。











「美能港」、美能港は








トンボロの港であるのがよく分かる。正面は宮島。









美能港の東港。










砲台山は標高が401m。


ぐるぐると山道を登っていった。



ところどころ石ころが崩れ落ちていた。


「凍結」の道はまったく無かった。








山頂の駐車場に着いた。




山は「砲台山」でなく「三高山」だった。



砲台跡は「戦争遺跡」でなく「土木遺産」だった。


















では「北部砲台跡」「旧軍兵舎跡」に行こう。












軍兵舎跡。












「砲台跡」。










はじめて砲台跡を見た人は驚くだろうな。


えいちゃんは四度目で目が慣れてしまっていた。




最初は大久野島の芸予要塞。

二度目は来島小島の芸予要塞。

三度目が呉の大空山砲台。


特に来島小島は保存状態がいい。





イメージ写真付きで説明している。











隠れた場所の砲台に対して

観測所は高い場所にある。









概要図。











次はパノラマ展望台方向へ向かう。







「地下兵舎跡」。











ここが地下兵舎の内部。

内部は気温が温かった。












次に炊事場跡。






このように「三高山砲台跡」はしっかりと残っている。


では何故、

日露戦争の遺跡が残り

軍都広島の周辺でさえ、太平洋戦争の遺跡がほぼ残っていないのか





その事を「砲台跡」を見るたびに思う。




昭和の戦争は、何も考えずに精神論で戦を始めたことを証明しているようだ。




つぎ・砲台山スカイロードANEXT




2013年1月19日