2012年4月28日 土曜日 15:30頃
尾道市向島町 「向島紡績」
土生港にある尾道行の「土生バス停」。
バスのいちばん前の席に座って眺めを楽しむ。
前方は生口島橋。
因島大橋を行く「おのみちバス」。
向島で降りた。
県道沿いにある「神森八幡神社」。格式は「県社」。
今日、向島に来たには訳があった。
向東町の向かいにある「向島紡績」に用があった。
向島町と向東町の境界にある「東西橋」。
橋の向島町側を兼吉桟橋に向かうと、その途中
「向島紡績」がある。
東側は県道で、こちらは赤煉瓦とそのノコギリ屋根が時代感たっぷりに残っている。
この時、えいちゃんと同じく赤レンガを眺に訪れた二人があった。
その二人の会話によると写真右手の門は「ここは勝手口に使っていた」門のようだ。
この向島紡績の工場は7月までに解体が終了する。跡地には食品スーパーが開店する。
中国新聞によれば
「1918年に帆布工場として建設された。糸を半世紀以上生産してきたが、円高による受注減で業績が悪化し、昨年12月に閉鎖された。」
工場だそうだ。
10日ほど前には、市民団体が尾道市長に保存を申し入れしたが「指定された文化財でない」と却下された。
せめて最後の姿を見て、
その姿をホームページに残しておこうと思った。
これは赤煉瓦に埋め込まれた英文の碑。
日本語版では
「向島捕虜収容所跡
1942年11月-1945年9月」。
終戦時には193名の英米の捕虜が造船所で労働していた、という
「世界の恒久平和を願い」った、日英友好のモニュメント。
重量感たっぷりの赤レンガには、日本の産業史や、尾道市民の労働場所、戦争遺跡、そんなものが重なり混じっている。
2ヶ月後くらいにはこの赤煉瓦は消滅する。
ブルーシートを張った門が「正門」だったところ。内部はすでに解体がはじまっている。
新東西橋から見る「向島紡績」。
新緑の山を背後にした最後の「向島紡績」。
来年には福山の食品スーパーのエブリイ他(ひまわり・100円ショップなど)が開店する。
向島紡績は向島でも、ほぼ一等地の場所。
周辺には、このような古い商家が昔を偲ばせている。
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2012年4月30日