銅像の人  奈良県
 

中将姫像 

場所・奈良県葛城市 當麻寺(たいまでら)


謡曲、浄瑠璃、歌舞伎
そして、講談社の絵本でも知られる「中将姫」。

継母(ままはは)に、虐められたり、さんざん悪さをされた悲しくて美しいお姫さま。
曼荼羅を描き、生きたまま浄土に去って行った。






(Wikipedia)

中将姫説話
今は昔、藤原鎌足の曽孫である藤原豊成には美しい姫があった。
後に中将姫と呼ばれるようになる、この美しく聡明な姫は、幼い時に実の母を亡くし、意地悪な継母に育てられた。
中将姫はこの継母から執拗ないじめを受け、ついには無実の罪で殺されかける。
ところが、姫の殺害を命じられていた藤原豊成家の従者は、極楽往生を願い一心に読経する姫の姿を見て、どうしても刀を振り下ろすことができず、姫を「ひばり山」というところに置き去りにしてきた。
その後、改心した父・豊成と再会した中将姫はいったんは都に戻るものの、
やがて當麻寺で出家し、ひたすら極楽往生を願うのであった。
姫が五色の蓮糸を用い、一夜にして織り上げたのが、名高い「当麻曼荼羅」である。
姫が蓮の茎から取った糸を井戸に浸すと、たちまち五色に染め上がった。
當麻寺の近くの石光寺に残る「染の井」がその井戸である。
姫が29歳の時、生身の阿弥陀仏と二十五菩薩が現れ、姫は西方極楽浄土へと旅立ったのであった。









撮影日・2012年10月30日  


 


お里沢市 


場所・奈良県高市郡高取町  壷坂寺


奈良県高取町は、たいへん印象深い街となった。
訪問した目的は日本三大山城である”高取城”への登城だった。

近鉄高取駅でおりて、街を抜けて登山口までの道は「土佐街道」と呼ばれる古い町並みで趣があった。
山頂の城跡は壮大な石垣が残っていた。
下山は周回コースでおりていたら大伽藍にであった。
それが「壷坂寺」だった。

城跡見物に行ったら、街並みと、名刹と同時に三つが楽しめた。






壷坂寺の事は歌で知っていた。ほんの少しだけ。
三波春夫が浪曲入りで歌っていた。


妻は夫をいたわりつ
夫は妻を慕いつつ
頃は六月中の頃
夏といえど片田舎
木立の森もいと涼し






(Wikipedia)
壺坂霊験記
つぼさかれいげんき
『壺坂霊験記』は、明治時代に作られた浄瑠璃の演目。
盲人とその妻の夫婦愛を描いた世話物、一段。
歌舞伎や講談、浪曲の演目にもなり、人気を集めた。


盲目の沢市は、妻のお里が明け方になると出掛けていくのに気付き、男ができたのではと疑い妻を問い詰める。
お里はこの三年間、沢市の目が治るようにと壷阪寺の観音様に願掛けに行っていたと打ち明ける。
邪推を恥じた沢市は、お里とともに観音詣りを始めるが、目の見えない自分がいては将来お里の足手まといになると考え、満願の日にお里に隠れて滝壺に身を投げる。
夫の死を知り悲しんだお里も、夫のあとを追って身を投げてしまう。
二人の夫婦愛を聞き届けた観音の霊験により奇跡が起こり、二人は助かり、沢市の目も再び見えるようになる。





撮影日・2012年10月29日

 
 


てくちゃん りんちゃん 


場所・奈良県天理市  天理駅前


天理市のゆるキャラ。










撮影日・2015年4月24日

 
 


奥村太平像 


場所・奈良県奈良市春日町 奥村記念館 







関西系ゼネコンの奥村組は、奈良県が創業地。
奈良国立博物館前に「奥村記念館」があり、市民に開放されたスペースもある。

奥村太平さんは奥村組の創業者で、戦後の大阪通天閣の再建に取り組んだ。






撮影日時・2021年11月5日




 
 
せんとくん

場所・奈良県奈良市  奈良公園周辺


せんとくんは、2010年の平城遷都1300年祭で大々的にデビューした。






デビュー当時は奈良市のマスコットキャラクターだったが、
今は奈良県のマスコットキャラクターに昇格しているそうだ。






撮影日時・2021年11月5日













作成・2021年10月9日   追記・2021年12月19日