銅像の人  愛知県
 

藤原俊成 

場所・愛知県蒲郡市  竹島園地
制作・






「藤原俊成顕彰会」

藤原俊成卿は、平安時代後期から鎌倉時代前期にかけて活躍した歌人であり、『千載和歌集』の選者として知られています。息子藤原定家も、父同様、歌人として有名でした。
名前は「としなり」とも「しゅんぜい」とも読まれます。
大変長命な方で、元久元年(1204)に91歳で亡くなられました。

蒲郡開発の祖
俊成卿が三河国司をつとめたのは、久安元年(1145)12月から同5年(1149)4月までの3年5カ月の期間でした。
32歳から36歳までの間、藤原顕広となのっていたころです。
俊成卿は、三河湾に面して温暖な気候の当地を大変好んだと伝えられます。
当時クスノキなどが群生していた荒地の開発をおしすすめて、「竹谷荘」「蒲形荘」を開発し、蒲郡の礎を築きました。
『吾妻鑑』という歴史書には、竹谷・蒲形荘を開発した人物として、俊成卿のお名前が記されています。









(Wikipedia)
藤原 俊成は、平安時代後期から鎌倉時代初期の公家・歌人。
藤原北家御子左流、権中納言・藤原俊忠の子。
はじめ勧修寺流・藤原顕頼の猶子となり顕広(あきひろ)を名乗ったが、後に実家の御子左家に戻り、俊成と改名した。
法名は釈阿。最終官位は正三位・皇太后宮大夫。『千載和歌集』の撰者として知られる。








撮影日・2014年10月10日


 


xxx像 


場所・愛知県県xx市xx町
制作・













撮影日・xx年xx月xx日

 
 


xxx像 

場所・愛知県県xx市xx町
制作・












撮影日・xx年xx月xx日

 
 











作成・2021年10月9日   追記・2021年10月19日