2012年3月27日 火曜日 午前10:10頃
倉敷市庄新町 「王墓の丘史跡公園」のうち「王墓山地区」
次は「王墓山地区」、楯築遺跡から数百メートル離れているが同じ団地にある。
公民館とグランドがあり、そこが王墓山の入り口。

登山口には案内板。

この丘が「王墓山(おうぼさん)古墳」。

頂上部分のみ残って、まあ平凡な古墳跡ともいえるが・・・じつは
すごいものが残っている。
それが、
↓ ↓ ↓
「石棺」がある。

この大きな石棺は井原市の北部にある「波形岩」をつかっているそうだ。
それに鏡や金銅の馬具・刀剣も出土して、それは東京の国立博物館で保管されている。
王墓山古墳の近くにも古墳群がつづき、石棺が部分的に残っている。

これは石棺だろうか、それとも横穴古墳跡だろうか。

王墓山の案内板。このような案内図がところどころに設置してある。

「王墓の丘史跡公園」という公園だから東屋もちゃんと設けている。

道しるべもあり。

古くは古墳で、それ以後は神様が祀られている。

笠岡の「古代の丘」のように古墳が並び、そこに遊歩道が整備された歴史公園となっている。

王墓山から見る「川崎医大」。

都窪郡庄村にこの大学が出来る事が発端で、
県都・岡山市と新産都の雄・倉敷市が「国盗り合戦」ならぬ「村盗り合戦」をしたのはもう40年前。
市町村合併のうち、「庄村盗り合戦」は県の歴史に残る争奪戦だった。
もし、総社市の規模が大きければ地理的にみて岡山・倉敷・総社のバトルになっていただろう。
それは灘崎をはじめ茶屋町・早島などが岡山・倉敷・玉野の争奪戦にならず岡山・倉敷だったことにもいえるな。
2012年3月28日