2011年8月19日 金曜日 午前9:27〜11:02
笠岡市有田・吉浜
石州往来は高屋への道と合流する。
間もなく新幹線の橋桁をくぐる。
有田川に沿って道はつづく。
川は有田川、籠山古戦場付近。
山を切り取った道、ここから吉浜になる。
銀山の丸大さん。
辻堂(吉浜西の堂)でひと休みした。
立ち上がると、お堂の板は埃まみれだった。
この銀山にある西の堂で道は分かれる。金浦中学校方向と、湾頭へ分かれる。
(初期の銀の道は金浦中学の裏を通る道だったと思える)
湾頭へ進む。
吉浜宮の谷の三叉路。
ここで「浜街道」と合流する。右へ行けば福山、左へ行けば笠岡。昭和30年代まで国道2号線の道。
正面のお宅の庭には「関藤藤陰(せきとうとういん)」の生誕地の碑がある。
藤陰先生は、
老中首座・阿部正弘の補佐を務めた学者。
吉浜から笠岡へ向かう。
ちょっと吉浜の天神さんに寄り道してみよう。
参道の常夜灯の麓には白百合が咲いている。
天神さん、「吉浜菅原神社」。
天神さん境内には、何一つ咲く花はなかった。
仕方なく、隣家の庭に咲く朝顔を眺めてから去った。
2011年8月20日