2011年8月2日      火曜日   午前7:50頃
笠岡市吉浜



朝の吉浜。












ポンプで田に水を引いている。





なつかしいなあ。







今はモーター回しているが、

えいちゃん子供の頃は発動機とポンプをベルトで結んでいた。














こちら水中ポンプ。













早朝の田んぼの守りをするおじさん。












稲が生長して緑の草原のようになる夏の田んぼ。










金浦小学校方向の田んぼ。











吉浜西迫の民家。






夏の田んぼは青々し、入道雲にも負けない季節を感じるな。






つぎ・ベイファームひまわり畑@A











2011年8月4日











8/1、偶然高校のクラスメートNくんに出会い、

笠岡駅前の喫茶店で話をした。





Nくんは、

近々「また東北に行きたい」と言う。







聞けば


東日本大震災発生時、自宅でテレビを見ていて大地震を知り、そのままテレビを見て大津波を知り



「自分もなんとかしなければ」と、


地元の社協にボランティアを申込み

放射能で運転手がなく食糧がない病院を見れば、病院に電話をし


さまざまな手助けの手を挙げたが、たまたま、タイミング等が合致せず・・・・日数だけは過ぎるが、「何か手助けしなければ」という義務・義憤の思いは高まる一方だった。






ついにN君一人で決行することにした。





親族(実兄)から軽トラックを借りて、

コンパネを買い、自分で改造し、

うどん粉・そば粉を各40kg購入し

知らない東北路のためカーナビを取り付け


高速道路を一路東へ。



彼自身、越えたことのない白河の関を越えて東北の地に入った。









趣味で覚えた「そば打ち」を

東日本大震災の東北・岩手県の避難所の人々にふるまった。




夜はその軽トラックに寝泊し、

また次の避難所に行くことを繰り返した。







N君の活動は、

彼の人としての義務感から出たもので、名誉や売名でないことは当然中の当然である。




すばらしい友が存在したもので、

われわれ同級生の誇りであり名誉でもある。




また、笠岡市民の鑑でもある。






N君は

東北から届いた礼状や、その時の笑顔が、いちばん嬉しいと言う。






活動中、

地元2社からインタビューを受け新聞記事になったそうだ。そのうちの「岩手日報」のWebをデジカメで撮り、このページの画像にした。









N君の活動を「岩手」の人が知り、そして感謝の気持ちをが持っている。


N君の地元、笠岡の人も是非とも知ってほしいと



彼の承諾もなしに控えめにページとして残す。














つぎ・ベイファームひまわり畑@A




2011年8月4日