2011年7月28日 木曜日 午前9:18〜11:14
笠岡市金浦・生江浜
国道二号線の金崎の三叉路。
この道の向こう側くらいに金浦側の「渡し場」があったそうだ。
このあたりで、
「渡し」があった跡は何も残ってないそうだ。
えいちゃんは金浦中学の出身だが、金浦と生江浜の渡し船のことは聞いたことがないし、もちろん見たことも無い。
在校生当時から今まで知らなかった。
金浦公民館発行の「語り継ぐ金浦・金浦郷土史研究会」の本に写真が載っていた。
それで、
「渡し」があったことは事実のようだと知った。
金浦の海辺で談笑中だったおじさん二人に聞いてみた (年齢は、お二人とも70代後半に見えた)
下記の話であった。
「おーーーーーい、と呼んだら船が来ていた」 (生江浜で待機か?)
「生江浜の明石の海水浴場へ行く時に乗っていた」 (金浦の人は全体利用は少ない)
「生江浜の高校生や勤め人が主に利用していた」。
とのことで、
消滅したのは「国道2号線」や「金浦大橋」の工事中前後の様子だった。
地図をみれば、たしかに金浦湾は奥まっているが
そうはいっても
どうしても必要なほどの道のりではい。(他の渡しに比べて)
やや「渡し」が存在したのは事実としても不自然な感じがしなくもない。
生江浜側の「渡し場」は厳島神社を海辺に行ったとこから出ていたそうだ。
(この波止場よりも100mほど北寄り)
次に金浦・生江浜に行った際
機会があればもう少し詳しく聞いてみよう。
2011年7月28日