2011年7月2日   土曜日   14:20頃
浅口市鴨方町生石   「生石のう様」




畑には三度芋が掘られ、その向こうに見えるのは「さんこう」・おかやま山陽高校の校舎。











山陽高校の更に向こうには天満屋ハピータウン鴨方店。












ここは鴨方の生石。

「生石」は井笠地方の人以外、誰も読むことが出来ない地名。







生石は「おんじ」と読む。






その生石には「生石のう様」という奇妙な謂れの石があるそうだ。





標識があったぞ、あそこだな。












この石が↓、「生石のう様」。
















「生石のう様」は岡山城のお殿様が後楽園を築園する際、庭石として献上された

しかし、生石へ帰りたいと泣いたのでお殿様は元の場所に帰したそうだ↓。















今でも「生石のう様」は生石の地区民にきれいに管理され、

故郷へ帰りたいという人には信仰までされているそうだ。













山陽高校のホームページには戦争中の信仰を書いてある。


それによれば、


戦時中は、

出征した我が子・我が夫・我が父が無事に帰ってこれるよう、この石にお参りする人が多かった・・・・とある。



これは間違いだろう。







「死んで帰る」のが兵の本分であり、

兵の死は「御目出度い」出来事であった時代に、

無事に帰ってきてと本心を口に出すことは無論、それを祈祷する行為があったとは、・・・・とても思えない。







つぎ・明王院












2011年7月7日