2011年3月18日 金曜日 | 笠岡港 | ⇒ | 真鍋島 | ⇒ | 北木島 | ⇒ | 飛島 | ⇒ | 笠岡港 | |
笠岡市飛島 洲港 | 7:25 | 8:09〜10:00 | 10:08〜11:00 | 11:30〜12:55 | 14:00 |
洲港に降りて行こうとしたら港から笛が聞こえた来た。
なんだろう?
なんか儀式のようすだなあ?
ああ、そうか今日は小学校の卒業式の日か。
桟橋にはお別れテープもあるぞ。
お別れの写真を撮っている。
でも不思議だな?
飛島の子が通う飛島小学校の生徒がなんで卒業式の日に飛島から去るのだろう・・・・・?
でもまあ、みんな神聖な表情でお別れの時を迎えている。
この子たちは今日島を去るのは間違いない。
さよーーーーならーーーー (えいちゃんも・・・・ついでながら・・・・見送りの人に手を振った)
船室に戻った生徒の名札を見ると、
その名字から、飛島の出身で笠岡住まいの親がわが子を飛島小学校に通学させていたことが推測できた。
翌朝の中国新聞井笠版には・・・・以下抜粋
関係者20人が出席し(うち卒業生2名、在校生1名)、明治34年以来110年つづいた最後の卒業式があった。
在校生は市内の小学校に転校し、飛島小は休校になる。
・・・・なお、いちばん多い時には在校生が108人いたそうだ。
ということで、偶然ながら
飛島の歴史的な時にえいちゃんは遭遇となった。
2011年3月22日