2011年2月7日   月曜日    午前11:19〜12:47
笠岡市神島(片島)     元・片島海水浴場



片島は本土に一番近い有人島だったが、笠岡湾干拓により本土になった。












本土になったら、干拓地の中に埋没してしまって「片島」の存在すら若い人には知られない。

















片島は神島内村に属し、木之子島(えいちゃんたちは「猫捨て島」と呼んでいた)を属島にしていた。






笠岡湾干拓以前の笠岡市を代表する写真には、必ず片島が写っていた。



笠岡市を紹介するには片島の風景は欠かせなかった。


(神島史誌)









今日はその片島の海水浴場跡を訪ねてみる。



以前、笠岡路上観察会のmさんが「毎年の夏休み、片島の海水浴場はそりゃー賑やかじゃった」という話をしていた。











(片島上浦の民家。この石垣は波に洗われ、石段は海に下りるものだろう)








それまで

えいちゃんは片島に海水浴場があることも、あったことも知らなかった。




白石や北木の海水浴場は話に聞くことはあったが、にぎわうような海水浴場が片島にあったなんて。


(記念碑の存在は知っているので、多少きれいな砂浜があった程度の感覚だった)
















(片島上浦の民家。石垣には船を繋ぐ金輪が残っている)














片島上浦の波止場跡。

この波止場ではどんな利用をしていたのだろう。









たぶん

渡海船がやってきて、この波止場で店をしていたのだろう。

渡海船は商品だけでなく島民を笠岡への旅客船も兼務していたのだろうか。



神内小学校へ通学する生徒はここから渡船に乗っていたのだろう。








片島は大きく分けて東から、上浦・高丸・下浦の三地区ある。


これが上浦。














向こう側が下浦。(高丸地区は狭く少ない)














これが下浦。岡の上に下浦八幡神社が見える。















ここが片島の西端。この道は茂平国繁までつづく。














この道は神島寺間までつづく。






この道を東へ行きイトウストレチアルガルデンを過ぎたころ湾状の地形により片島にいけば






そこに「片島海水浴場跡」。








碑のうしろ(山側)には


「最上白瀧大権現」さまが崩れかかっている。















そして前を見れば、

これはさすがに元海水浴場であった事を充分偲ばせる。











お椀のような地形の砂浜が広がり、

波静かな笠岡湾の更に片島アハマ湾という自然条件。





笠岡から一番近いこともあり臨時船が就航したのもうなずけなくもない。




というのは、

笠岡湾干拓以前の時代がら、瀬戸内はどこにも自然海岸で多くの砂浜があった。

なにも、わざわざ海水浴場に行く必要もないし、金銭的な余裕もなかった。










片島海水浴場の向こう岸、茂平で育ったえいちゃんは海水浴場なんて行ってみたいとも思わなかった。











つぎ・元・片島海水浴場A














2011年2月16日