2010年12月24日 金曜日 | 丁山 | ⇒ | 八重山 | ||
浅口市金光町八重 八重山 | 9:26〜10:09 | 10:29〜11:06 |
八重山から車を止めていた金光図書館に戻って、「金光町史」を開いてみた。
金光町史には以下のような記事が載っていた。
特別大演習にともなう天皇の行幸を迎えるため県・金光町などは大掛かりな準備に追われた。
当時の金光町にとって天皇の「八重山御野立所」への「行幸」は「無上ノ光栄ニ欲スルヲ持ッテ感激其極ニ達シ」た。
昭和天皇は11月15日午前10時15分金光駅に着かれて直ちに八重山へ行幸された。
当日町は御影橋付近に奉拝所を設けて諸団体の代表が多数出迎え、奉拝した。
そうして午前11時55分に金光駅を出発され、岡山市の大本営に向かわれた。
八重山の御野立所跡の処置については永久に「御隆徳ヲ偲」目的で記念碑建立の計画を立て土地の買い入れ準備を始めた。
ところで、八重山の大演習はどの方向で行われたのだろうか?
八重山に行くながら付近の老人に体験なり、伝え話を聞いてみたいものと思っていた。
あいにく気温が低く風が強く、のんびり農作業中とか日向ぼっこの人を見ることがなかった。
図書館員に尋ねると、古い資料の本をひろげたが戦場は明記していなかった。
父が話したことにも矛盾な点があった。
「福山と岡山の歩兵連隊」が激突したのでなく、広島と姫路の師団の戦いで、規模がより大きいことになる。
当時の情報といえば、新聞ははんぴらで・・・たぶん・・写真はなし。家にラジオもなし。
「城見小学校の前で見た」のも怪しい。神辺から矢掛を行軍している、笠岡を通っていない。当時父の年齢は神辺実業の生徒であったから、神辺で見たのであろう。
なお、天皇陛下は
金光町史によれば
11月14日・神辺平野
11月15日・八重山
11月16日・吉備郡服部村(総社市)を行幸している。
この時天皇は、
麦稈真田の組合に産業奨励の侍従を使わしたり、
高齢者(60歳以上)・傷痍軍人・軍人遺族・孝子にお菓子を下賜されたそうだ。
2010年12月24日