2010年8月28日 土曜日 17:40〜20:20
笠岡市走出 北川薬師夏祭り
今日は北川の薬師さんのお祭りに行く。
(笠岡市立北川小学校)
昔、まだ青年団員だった頃の父が歩いて祭り見物に行くほどの北川の薬師の祭りとはどんなものなのだろう?
そういう疑問がずっと胸にあった。
(正面に小田の観音山)
父が兵役前に、青年団で北川の薬師の祭りに行っていたのは昭和10年前後のこと。
今からもう、70年以上も前のことだ。
茂平から走出までは、どういう道を歩いて行ったとしても片道15km以上ある。
父は「そういう時にしか酒を飲めなかったから」と、村の若者が酒宴をするために薬師まで行っていたそうだ。
お祭り・縁日は周辺にもそこそこある。わざわざ遠方の北川までくるということは相当の大祭であったことであろう。
(これが薬師さんがある山)
しかし、青年団員当時の父が行っていた北川薬師の祭りであるが
えいちゃんが物心ついて以降、
父が、村の近所の人たちと北川薬師に行くことはなかった。一度としてなかった。
お酒を飲むためだけに行く、という若者パワーが無くなったのも事実だろうし
なにより
北川薬師のお祭り、そのものが周辺から参拝客や見物人を集めるというパワーが消滅していったのだろう。
その事は、近年だけとってみても
えいちゃんの勤務先の3人(走出2・小田1)が話すことは、ほぼいっしょだった。
「今はO酒店のまわりに5〜6しか出店がでないけど、小学生の頃までは参道まで店が出ていた」
すくなくとも70年以上にわたり、北川薬師の祭りは衰退している様子だ。
終戦後までつづいていた冬季祭りの「裸祭り」行事も途絶えている。
かつて小田・後月の両郡から集まったお祭りの見物人はえいちゃん以外なく、
旧北川村の走出の地区の納涼祭として存続しているようだ。
更に言えば、薬師さんも「北川薬師」ではなくて「走出薬師」と標示されている。呼び名まで縮まんでもいいのにな。
持宝院北川薬師に着くと
まだ、お祭りの準備中だった。
社務所では多くの靴があるが休憩しているのだろうか。
左が本堂で、右が太子堂。
太子堂の屋根は吹き替え工事が終わったばかり。
設営されたステージ、
奇麗にイスが並べられている。
見物人はゴザに座って楽しむ、という時代は過去になろうとしてる。
「今年は集まりが遅いな」という声がある頃、
マイクロバス2台が大勢の見物人を乗せてきた。
村の納涼祭にマイクロバスの送迎があるいうのも珍しいが、
実は北川薬師は山寺で、150mくらいの山道を登らなければいけない。
しかも急な坂道、かつ暗い道
そういう事情があるのでやむを得ない面がある。
さあ、だいぶんと人も集まり、夜になってきた。
最初のプログラムは小北中学校の吹奏楽部の演奏。
その前に、住職さんのご挨拶。
さあ、これより北川薬師の夏祭り、はじまり・はじまり。
2010年8月29日