2010年8月13日 金曜日 | 笠岡駅 | 香登駅 | 〜 | 伊部 | 〜 | 茶臼山 | 〜 | 真光寺 | 〜 | 富田松山城址 | 〜 | 西片上駅 | 笠岡駅 | ||||
備前市片上 | 6:39 | 7:59 | 9:10頃 | 9:43 | 9:58 | 11:00頃 | 12:15 | 13:54 |
真光寺から富田松山城址へ行く。
ひとまずJR片上駅まで行く、そこからまっすぐ南進すれば登山口に行ける・・・・と調べている。
(備前市役所前)
ところが、ひとつだけ計算違いが発生した
西片上駅から片上駅までの間にはコンビニ店がなかった。
それで登った富田松山城址で弁当を食べるという計画がパーになった。
登山口には間違うことなく、すんなり来れた。
ここから城主浦上殿さまの標識に導かれての登山となる。
登山道はハミの心配無用と思える程整備され、適当な間隔でお殿様の激励の標識案内があった。
(中腹より片上市街地)
しかし、道の管理状態はいいが
結構な急な坂道で足腰によう効く道だった。
「東出丸」に着いた。
東出丸からは片上湾が見渡せた。
東出丸から見る片上大橋方向。
東出丸から見る片上湾。
向こう岸は備前市と瀬戸内市になる。
この片上湾の向こう岸のどこかが、シバレンこと、柴田錬三郎の出身地。
シバレンは長く時代小説で活躍していたが、
なんと! 生存していれば父と同い年だった。 早く亡くなったんだな。
東出丸から見る本丸。
本丸が209m、山頂になる。
東出丸より本丸に向う。
本丸に着いた。
「富田松山城址」の碑と塚がある。
そして本丸はぐるりと「土塁」に囲まれていた。
富田松山(とだまつやま)城は備前国の東部を浦上家が100年支配をしてきたが、
台頭してきた宇喜多直家によって滅ぼされた。
城跡は土塁・空堀・石垣・井戸等、史跡としてよく保存された山城といわれる。
しかし、登山道はいいが、この季節に夏草の茂る空堀や石垣の場所に行くことはできない。まあ冬限定。
えいちゃんのように城郭のことに特に詳しくない人や、興味のない人でも、この山はハイキングの山としていい。
片上の町から見上げればおわんのような山容。
整備された道を山頂に登れば片上湾のほぼ全景が見渡せる。
それに市街地から近く(えいちゃんのようにJR香登駅からきてもいいし、)次の伊部駅からでもいい、その次の西片上駅ならちょうどいい距離。
片上駅からなら近すぎと思える距離、まあ、万人向きのハイキングの山だ。
山から下りて、片上駅まで戻った。
赤穂線・片上駅。
無人駅かと、駅に入ると駅員さんが一人いた。
駅舎の半分以上は個人の司法書士事務所が使用している。
片上駅から西片上駅まで、旧山陽道の片上の町並みを歩く。
ここが備前市役所がある備前市片上の玄関口となる「西片上駅」。
駅舎の前は国道二号線、駐車どころか停車すら不可能。
駅舎の後ろは赤穂線のホーム。ホームは一つで、上りも下りも同じホームを使う。
しかも無人駅。
これが備前市の玄関駅の姿であった。
そして、実際にえいちゃんが西片上駅で不便であったのは弁当が買えなかったこと。
西片上駅から片上駅まで国道沿いにコンビニはなく、旧山陽道の商店街にもなかった。両方の駅舎にも売店はなかった。
これは片上駅への階段から見る片上高校・備前緑陽高校など。
この写真の下方に「片鉄ロマン街道」のサイクリング標識が映っている。
片上の町は赤穂線ができる以前は片上鉄道が町の玄関口だった。
今、片上鉄道はなく元の玄関駅周辺にマックスバリューなどの大型点がある。
登山前に弁当を買いそびれたえいちゃんは、片上を去る直前にやっと、そのマックスバリューまで行って弁当を買うことができた。
西片上駅を出た電車内で、すぐに弁当を食べはじめた。
2010年8月17日