2010年8月5日 木曜日 | 笠岡駅 | 善通寺駅 | 津島ノ宮駅 | 笠岡駅 | ||||
善通寺市 第14旅団 | 5:47 | 8:17〜11:35 | 11:51〜13:04 | 14:54 |
総本山善通寺から善通寺駐屯地へ向う。
陸上自衛隊第14旅団の公式ホームページから写させてもらうと、↓。
「善通寺駐屯地には、
四国地区の防衛警備等を担任している第14旅団の主力、
主に新隊員の教育を担任する第110教育大隊、業務隊をはじめとする駐屯地の機能を維持するための各部隊が所在しています。」
善通寺駐屯地はこの↑ように、歩道から内部の訓練が見える。
歩道は広く旅団司令部の門まで歩道公園のような舗道。
今日の夜は一般開放して、市民といっしょに納涼祭の日。
ここが旅団の正門。
旅団正門に掲げられた司令部と中隊名。
この司令部の正門の対向にレンガ建物は残っている。
大日本帝国陸軍第11師団は、明治31年(1898)、ここ善通寺に創設された。
日露戦争にも出兵し、多度津港では有名な「一太郎やあい」のような出兵見送り風景があった。
旧第11師団の現存建物には、旧司令部、旧偕行社、旧兵舎とともに煉瓦造りの大型倉庫群が残る。
現在も陸自第14旅団の輜重庫として使われている。
旧陸軍11師団司令部の跡の碑。
ここに「乃木館」があり、一般に開放されている。
。
またまた
陸上自衛隊第14旅団の公式ホームページから写させてもらうと、↓。
この建物は、明治31年10月1日、旧軍第11師団が四国全域を管区として編成された際、師団司令部として建てられたもので、
善通寺駐屯地では通称「乃木館」と呼ばれています。
初代師団長には、軍神として名高い乃木将軍が着任され明治31年10月1日から明治34年5月22日までの2年8ヶ月間ここで勤務されました。
その後昭和20年の終戦まで25代にわたり歴代師団長が勤務されました。
第11師団はこの間、日露戦争・シベリア出兵・上海事変等々の戦役に参加して赫々たる武勲をあげ、その名を天下に轟かせました。
(乃木資料館の前庭には役目を終えた戦闘機・ヘリコプター・戦車などが展示されている)
門の受付で署名をして、えいちゃん入館する。
「玄関で説明する人が待っていますから。」と二人の自衛官から言われた。
そこに着くと、若い女子自衛官がえいちゃんを待っていた。
(乃木資料館の前庭には役目を終えた戦闘機・ヘリコプター・戦車などが展示されている)
館内には歴代の師団長の写真や、制服、勲章などが展示され、
師団長室の机やイスがそのまま残されている。
(乃木資料館の前庭には役目を終えた戦闘機・ヘリコプター・戦車などが展示されている)
女子自衛官は乃木希典師団長のことを「大将」とも「将軍」とも言わず、
「閣下は・・・・」と平然と呼んでいた。
そして、自衛官が天職とでもいうような輝く目をして話してくれたのが印象的だった。
乃木資料館から出てすぐ、四つ角に「磯野邸」がある。
昭和5年の洋館。
そして善通寺駅方向に向かった。
第14旅団はどこまでもつづき、赤レンガもまた何棟もつづいていた。
青春18きっぷラン(善通寺〜津嶋神社夏期大祭)@〜F
2010年8月19日