2010年6月19日 土曜日 | 安養寺 | ⇒ | 福山 | ⇒ | 安養寺 | ⇒ | 玉椿の湯 | ⇒ | 亀島山 | ||||||||
倉敷市亀島 | 9:12 | 9:55 | 11:05 | 11:50〜13:30 | 13:45 | ||||||||||||
「亀島山花と緑の丘公園」 |
清音の福山から、わざわざ水島の温泉に来たのには訳があり、
それは帰りの道で寄島の「不動の滝」を見るつもりだった。
連日の雨で不動の滝は今が見ごろであろう・・・・・と滝の水の量に期待をしていた。
ところが水島の亀島山を半周するようにイオンタウン水島の駐車場に来て、妻に亀島山に登ったことがあるかと聞けば「ない」という。
その返答で、これは今日は亀島山に登らにゃあいけんと思った。
一度は亀島山に登るのは岡山県民の義務である・・・・・えいちゃんは独りそう思っている。
向こうは倉敷芸科大学がある大平山、麓の倉敷名物連島のレンコン畑は緑一色。
亀島山山頂に着いた。
亀島山は標高わずか80m。
しかし、その山の高さは昭和の激動で変化している。
戦時中、山頂は水島航空機製作所の飛行の妨げになるため削られ、更には高射砲が据えられた。
戦後、水島の発展とともに土砂供給の最前線に位置し、完全なる土砂むき出しの山となった。
それはもう、見るも無残な姿の山で、高度経済成長期を代表する日本の負の風景であった。
亀島山の麓にある三菱自動車。
水島の中央を東西に延びる水島緑地。
ここが三菱重工水島航空機製作所であり、
海軍倉敷航空隊の基地、元倉敷予科練があったところ。滑走路は(たぶん)未完成で終戦になった。
終戦(敗戦)が近くなると亀島山の地下には大工場が建設された。
それが三菱重工水島航空機製作所「亀島山地下工場」。
(この山の地下に2KM以上の航空機製作所の工場が建設された)
この水島の近代・現代史は日本人、特に岡山県人は・・・・広島市民が原爆ドームをみつめるように・・・この亀島山にきて、戦中・戦後のいろんな事を再考する場所だと思う。
三菱重工航空機製作所が、水島の最初の大規模埋め立てで、最初の大工場であったこと。
亀島山は飛行のために山頂を削られ、そこには防空のため高射砲が据えられていたこと。
航空機製作所は米軍の空襲を受けたこと、それに対して亀島山の地下には地下工場が建設されたこと。
航空機製作所の作業員は青年男女による勤労奉仕活動に依存していたこと、地下工場は朝鮮半島からの人々により建設されたこと。
海軍飛行予科練が福田に新設されたこと。
今でも、地下工場を除きその跡を山頂から見ることができる。
そして戦後、亀島山は岩石剥き出しの奇妙な岩山になったが、その採掘土は水島臨海工業地帯の造成工事に役立てた。
「くらしき百景」にも選ばれている亀島山。
過去を思うに、これほど貴重な山があるだろうか。
けれど、
今日この山で出会った人はだれ一人いなかった。
土曜日の午後8:30キックオフというWカップの日本vsオランダの試合。
南半球で、しかも日本からはんぶん裏側の南アフリカ共和国で開催の試合が日本のゴールデンタイムでのライブ放送、こういうことがあるのだな。
おまけに言えば第一試合のカメルーンに勝った日本の第二試合で、第三試合のデンマークとくらべても一次予選の強豪相手の試合。
見なければなるまい。
試合はダーバンという都市のしゃれたスタジアムであった。
予想は日本が勝てる可能性ゼロで、
「負け」または「引き分け」。
ただし、「引き分け」狙いで行けば大負けするので「勝つ」つもりで試合をせよ・・・・・というのが新聞予報であった。
結果は1:0で負けた。
試合直後にテレビに写った岡田監督の顔が、よくぞ惜敗まで持ち込んだ、という満足気の表情が印象的だった。
2010年6月21日