2010年4月290日  木曜日
古城島(甘崎城址)
愛媛県今治市上浦町甘崎 (大三島)  15:55~16:54
2010年4月29日  大潮  (鼻栗瀬戸) 16:38 11.1㎝  




最大引き潮の頃。




16:41










えいちゃんはアマモのうえを歩いた。




16:46







アマモを手にとるのも、・・・・

踏むのも、・・・・


もうすっかり過去のことになった。



小学生の夏休み大潮の干潮時には茂平の苫無沖にアマモが干上がっていた。


そこで足に擦り傷をつけながら石を動かして小魚やイソギンチャクなどと遊んでいた。



想いだすなーーーーー。










16:46
















砂から1/3ほど尾を出した貝がいる。


それを両手で”エイヤッ”と土中から引き抜く。





16:48













泳ぐようなアマモが多々羅大橋の影にむかってつづいている。




16:50
















これが甘崎城の遺構、甘崎城石垣。




16:54




「甘崎城」はたいへん古い城で、


岡山県総社の鬼ノ城や、香川県屋島の屋島城(やしまのき)と同じ時代のもので唐・新羅から攻撃されるのを想定した守りの城。




今から1300年前に築かれた海の城。



動画 16:57













17:00








その後、村上水軍に変わり、

豊臣時代には藤堂高虎が今治藩主で、

朝鮮戦役には渡航基地にもなったそうだ。









17:01







江戸時代初期に廃城。



元禄のころ(1691年)ドイツ人ケンベルがこの島を見て「海中よりそびゆる保塁あり」と書き残しているので、


単なる瀬戸内海の無人島ではなくて、海上から石垣が見えていたと思える。










17:01










ケンベルが見た甘崎城の石垣は、その後住民が生活の石に使用するためここより撤去していった。


それで、今は少ししか石垣遺構は残っていない。





17:04












「海上160m先にある甘崎城」が陸とつながった姿。





17:06






陸とは砂州によりつながるものでなく、広く全体が浮いてくる感じでつながる。





17:07





それでは帰ろう。




今日は珍しいものを見ることができた。



いい体験ができた。







えいちゃんは満足しながら美しい「しまなみ」海道を運転しながら帰っていった。




最後に、勝手ながら「読売新聞・愛媛版」の記事をコピーさせてもらって記念に残す。





ツアー客200人海割れ楽しむ 今治

陸続きとなった古城島へと歩いて渡る子どもら(今治市大三島町で)

 今治市の大三島沖に浮かぶ無人島が、潮が引いて年に数回、陸続きとなる「海割れ」と呼ばれる現象が起き、観光客らがかつて水軍の城だった島への“海中散歩”を楽しんだ。

 大三島の東沖約160メートルにある古城島は、4~7月の毎月数日だけ、幅10~30メートルの砂浜が1日数時間、海面に顔を出して陸続きとなる。今年に入り、広島県福山市の旅行会社がツアーを企画。約200人が砂の上を渡り、周囲約600メートルの島を散策したり、潮干狩りを楽しんだりした。

 来島水軍の拠点だった同島には中世の城跡が残り、県史跡に指定。広島県三原市、無職浜田芳光さん(65)は「古城の残る島に歩いて渡れるなんてロマンを感じる」と喜んでいた。

(2010年5月2日  読売新聞)












つぎ・古城山~応神山①














2010年5月15日