2010年4月25日 日曜日 午前8:36〜11:43
笠岡市 名勝・高島
神武天皇が2年とも8年ともいわれ滞在し軍備を蓄積した吉備国の”高島”。
今から70余年まえ、
国家・国民をあげての事業であった「皇紀2600年」を控え、”高島”の所在地は重要な意味があった。
決定地の最終候補まで残った小田郡高島だったが、児島郡の高島に決まった。
そして戦争がはじまり、終戦。
敗戦を機に神武天皇が東征中に滞在した「高島」はどの地であったか?
は、
桃太郎の「鬼ヶ島」や、浦島太郎の伝説地がどこであるか? よりも、更に意味のない争点に落ちていった。(というか無視された)
神武天皇ゆかりの”高島”という栄誉合戦の時、
ここ小田郡高島の島民はどのように燃えたり、陳情活動をしたのだろうか?
そのことはもう、
完璧に過去のことであり、
高島論争は歴史論でなく、隠して忘却されたい出来事だったので今では笠岡でも語られることはない。
王泊の鳥居の左側、丸い石碑は「日露戦争記念碑」。
前面に刻まれた文字はいくらか風化し、文字が読みきれない。日露戦争は遠い過去が、読めない文字でおしえてくれる。
王泊の海岸では子供たちが遊んでいる。
少年には早くも海の男の気配がしている。
(それにしても、高島の子供たちが室内でゲーム遊びをする姿は想像したくない)
王泊に残る奉安殿のような建物。粗悪なセメント材でつくられたもので崩壊中。
王泊の海岸道。
高島にフェリーはないのと地形の事情からか、自転車が多い。
黒土の海。黒土瀬戸。
この写真は高島港に貼ってある高島案内。
「神話」と「遺跡」と「景色」と「料理」が書かれてある。
そのうち、えいちゃん未経験の「料理」をいつか体験したいものだ。
高島港に帰りの船がやってきた。
釣り客も、そうでない人も神島外浦港で半数が降りた。
いやー、きれいな海と空と高島だった。
笠岡市内にこういうきれいな風景があるというのは嬉しい。
また違った季節に高島にやってこよう。
2010年4月28日