2010年2月27日 | 早島 | ⇒ | 瀬戸大橋温泉・やま幸 | |
都窪郡早島町早島 | 8:50〜11:10 | 11:30〜16:00 |
次は桜の名所で知られる「早島公園」へ行く。
街道にある枝ぶりのいい松の木。昔は峠の茶店でもあったのだろうな。
早島公園内にある「竹井将監五輪塔」をさがした、コース図にはあるのだが見つけることはできなかった。
竹井将監は高松城水攻めの攻防戦で加藤清正と一騎討ちで敗れた毛利方の武将。
早島公園に接した墓地ではお地蔵さんが毛糸の帽子とマフラーをしてもらっている。
夏になると扇風機でも回してもらうのだろうか??
正面には金甲山。
早島からはテレビ塔や電話会社のアンテナが林立する二つの山がいつも左右に見えている。
児島半島に向かって左のアンテナ山が金甲山、右のアンテナ山が常山。
早島公園でパットゴルフを楽しむ人たち。
桜の名所「早島公園」は「城山」とも呼ばれているみたいだ↓。
早島公園と道ひとつ隔てて「国鉾公園」がある。
どこからみても一つの公園だが、設立のいきさつで二つの公園となったのだろうな。
公園の入口に大きな藤の木がある。
でも国鉾公園は「つつじ」の公園だそうだ。
国鉾公園にある「国鉾神社」
この神社には「戦捷記念碑」がある。
大正13年にできた記念碑で日清・北清事変・日露の戦勝を記念したもの。
この戦”捷”記念碑の漢字。
この字は木山捷平の捷と同じ文字。
というか、木山捷平以外でははじめて見た。
家に帰って調べたら「捷」という字は「戦いにかつ・勝ちいくさ」という意味だそうだ。
国鉾神社から見える北側・物流センター。
そして国鉾公園から降りてきた。
時代劇に出てくるような土塀の道となった。
(左・戸川家記念館、右・元戸川家住居)
この地が早島を江戸時代をとおして治めていた旗本・戸川家の陣屋跡。
これは陣屋内にあった井戸。家臣の住居で今も暮らしているので外から見るだけ。
これが「戸川家記念館」。
戸川家ゆかりの品々が保管展示されているそうだが日曜日だけ開館する。
堂々たる大木と茅葺のお屋敷。
ここに旗本戸川氏は住居を構えていた。現在は土地の名士の方が住んでいる。
陣屋の遺構として残る石橋と堀。陣屋の敷地のほぼ中心が現在早島小学校になっている。
早島陣屋の遺構は石橋と堀が残るだけではない!
戸川家の陣屋門は笠岡に移築され笠岡小学校の校門として立派に保存され笠岡市民に親しまれている
いかも戸川家3千石の所領の門から、小田県52万石の玄関門として大出世(?)している。
それにもかかわらず、
戸川家陣屋とその遺構の説明に笠岡に移築されて残る、という案内はいっさい早島町内にはなかった。
(まあ、今日早島にきてこのことだけが不満だったな)
トマト銀行の早島支店。ふるい街道にあわせた建物にしている。
小さな石碑があるが、この道が宇喜多堤であったという碑。
早島小学校の校門。
煉瓦造りの門柱が4本も立っている。
立派な門いうか?
なんか、軍の施設を思わすようでもあるな。
2010年3月1日