2010年2月11日  午前8:30〜12:00
笠岡市山口・走出 「第11回 にいやま史跡探訪とウォーキング」





新山から北川に行く。


ここから道案内は「北川の昔を訪ねる会」の会員さんになる。


 








今「小池古墳」に向っている。


この古墳は笠岡市指定文化財の史跡であり、市内最大の「横穴式古墳」。


なにより、


えいちゃんが探したけどよう見つけんかった場所でもある。






今日はみんなの後ろをついて歩くだけで小池古墳に行ける。





竹林の中を一列で歩く。











これが小池古墳。


古墳の中では「北川の昔を訪ねる会」の会員さんがライトを照らしてくれている。






さすがに大きな横穴式古墳じゃったなあ、、、、、、と道まで戻ると。





そこにはちゃんとした↓、標識があるではないか。



半年前、えいかうんがえっと探しても標識などは見当たらなかったけどな?





そう思って「北川の昔を訪ねる会」の会員さんに尋ねてみたら、

「今日のため、昨日設置したばかりです。」とのご返事だった。











小池古墳から県道笠岡美星線の方に向かって歩く。













その県道の手前の山に登りかかる。



ここが「キスコダワ古墳」と呼ばれ、多くの土器が出土したところ。




私有地で、所有者の方が土器を手に説明をしてくださった。

説明中にまた雨が降り出した。








再び新山。

















木山捷平生家に着いた。





「木山捷平って誰?」という声が聞こえた。

ばっけい場違いな言葉じゃった。






捷平生家の前で、お隣に住む方が戦後の満州から引き上げ後、ここで生活していた捷平の話をした。





「満州では100年分の苦労をしてきました、と捷平さんは話していました。」








捷平生家の裏山墓地の方へすすむ。











そこに「おそめ塚」。


備中松山藩のお殿様の美しい娘が足軽と仲良くなったので、お殿様は怒って「討ち首」の命令をしたそうだ。


逃げ延びたが、ここで捕まった。















今日の行程の最後は長福寺。


白塀の漆喰がはげ落ちているのが田舎のお寺らしい。






長福寺の門前では新山公民館の主事さんが、

木山捷平が少年時代古里新山で遊んだ短編小説を朗読した。






そしてまた・・・・雨が降り出した。











長福寺境内では新山公民館の婦人部の方がおにぎりとトン汁を作って待ったいる。



トン汁は毎年2杯くらいいただいている、美味いからね。




それで、これまた毎年のことだけど後半になると「トン汁」のことが頭をよぎるようになる。



でも今年は?

 



新吉中学生、

「おい今年はお変わりがないそうで。」

「ワシャもう知っとる(断られた)わー。」



だそうなので、えいちゃんもトン汁を一杯いただいてからおとなしく退散した。








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2010年2月18日