2010年1月30日 眺洋山 百島港 十文字山 軍殿山 百島港 阿伏兎山
尾道市百島 9:30ころ 10:26 11:00ころ 12:00ころ 13:45 14:50ころ



ぶらぶら船時間待ちに福田を歩く。















小高い山のようなところに「百島八幡宮」。




「お弓神事」の由来が案内板にあった。









八幡様からすぐ近く天理教があり、そこから見る浦崎半島や麓の水産試験場。









午後になってから、空も海もいっそう青くなってきた。














福田の民家。そろそろ船の時間が近くなってきた。













福田港に尾道行のフェリーがはいってきた。











常石行きの旅客船がきた。


船から降りる人を待ちながら婦人がえいちゃんに向かい、「また百島においでてください。」と言った。











旅客船に乗ると、

「百島には何もなかったでしょう。」



と、

「62年間ずっと、百島に生まれ育った。」というおじさんから話かけられた。








62年間百島いっぽんのおじさんは次のような話をしてくれた。







百島はすっかり人口が減ってしまったこと・・・・(今はおよそ700人)


フェリー代が高くて・・・・・(船賃が日本一高いそうだ)、

フェリー代が高いために車は百島用に一台、本土ように一台を常石に常駐させていること。







不便な島暮らしだが、それでも本土に近いのでなんとかマシ(他の離島より)ということ。





そして・・・・・芸能人が・・・・おじさんふうに言えば、


わざわざこの百島を訪れるほど魅力ある島。







「氷雨」の作曲家とまりれん氏がこの島に住んでいる。学校の校歌を作曲したり、カラオケ指導しながら島で生活をしている。



相撲のコニシキが百島にテレビできた話。ビジネスで割り切り笑顔一つなく、サイン拒否のロケだったこと。



向井亜紀も百島にテレビロケにきた、今でも節目に贈り物をしてくれる・・・ほど律儀で、個人の電話番号まで知っている。






「なんにもない島」からはじまったおじさんの話は、


瀬戸内海の中心に位置する百島である・・・・・・という話になり、



そして、



「また百島にきて下さい。」で終わった。





今日出会った百島の方はみんな「百島」が好きでしょうんがない、という感じだった。



えいちゃんが山道を走っている時もそうだった、

車のエンジン音が聞こえたので道べりに止まると車の中から手を振ってくれた。




自分の島・百島が好きでしょうがないから、百島を訪問した人も歓迎する。



百島とは、そういう島なのだろう。




つぎ・阿伏兎山森林自然公園@A














2010年1月31日