2009年12月5日  午後0:00〜6:10
笠岡市中央町 三洋ほか  小学校の同窓会



まあ、えいちゃんが小学生の頃は「城見小」といえば日本でいちばん僻地でこまい学校と思っていた。




(酔いがまわらぬうちに記念写真を)






テレビもない平和な貧しい時代だったけど。


まわりは善人ばっかし住んでいたような気がする。、








(一人づつ立ってから近況報告)





親の職業は8〜9割が農業だった。


自分のウチも友達のウチも庭には必ず干しものがあった。



そのムシロを蹴ったり踏んだりしないように遊びまわっていた。










(近況報告を聞く)







遊びといえば

チャンバラごっこや相撲かな、


ラジオもよく聴いていた

えいちゃんが好きなのはNHKの相撲放送とラジオ東京の赤胴鈴之助だった。







(だんだんと座が乱れてきて)




学校までは2キロ近く歩いて行っていた。



遠かった。

通学というよりは遊び遊び行っていた。いつも1時間くらいはかかっていた。


帰り道はたまに、

農協へ集荷にくる三輪車(オート三輪とかバタンコとも呼んでいた)が荷台に乗せてくれることがあった。



あれは嬉しかったなあ。





(自分の席も他人の席もいっしょくたになり)





いちばん楽しいのは夏休みだった。


休みが楽しいというよりは海が楽しかった。


夏休みは、

ほぼ毎朝海に行っていた、そして昼過ぎにまで海にいた。



潮がある時は泳ぎ、

潮が引くと歩いて沖まで行って岩をうごかして小魚やいそぎんちゃくと遊んでいた。



今思い出しても、海で遊ぶほど楽しいことはなかった。






(仕上げは琴はんで歌っておしまい)





学校の先生はほとんどが自転車で通勤していた。

単車で通う先生はえいちゃんの記憶にはない。(自家用車は当然なし)


男性の先生は順番に宿直をしていた。

女性の先生は冬、石炭をストーブに運んでいた。




・・・・・遠い過去になり、記憶に自信すらなくなりだしたなあ。




つぎ・(清音の)福山














2009年12月8日