2009年10月11日 「ぐるりうわ海」 岩松 熱田温泉 おうち
宇和島市津島町岩松 6:35〜9:14 10:16〜11:07 11:16〜12:01 15:35




「お伽させてやんなせ」

私はその言葉の意味が了解できなかった。

しかし、細帯一つのアヤメが、そういって淑やかにお時儀をし、やがて、私の身近く寄り添ってきた時に、不審尋問をする必要は、いささかもなかった。


ただ、これは夢だ、夢でなければーーー・・・・・・ああ、これは、決して邯鄲の枕ではない!



小説「てんやわんや」




岩松は川と山に囲まれた入江の町。




山の向こうにはまた山が連なる。


小説「てんやわんや」で手弱女アヤメと村人10人が出迎えてくれた山へ、と思いが重なった。






岩松川の上流側。





岩松川の下流側。













岩松川の河原で遊ぶ子供。








岩松川ではウナギや大ウナギが捕れる。










「田鍋君、近頃、鰻の方は、どがいぞね」と勘左衛門氏が、彼に話しかけた。

 田鍋は、この町切っての鰻釣りの名人で、相生川のどんな支流、どんな石蔭に、鰻の穴があるか、悉く諳んじて余さぬのみならず、どんな狡猾な鰻も、彼の手にかかると、ミミズの如くたわいなくなってしまうそうである。

それは、神技というべきだそうだが、鰻穴の所在も、道具の仕掛けも、彼は親友にすら断じて明さない。


小説「てんやわんや」






岩松川の東側の川岸を歩く。















数株の老松」が見えてきた。








まったく、田舎のカネモチというものは、捉えにくい生態を持っている。

私は、川田番頭に案内されて、邸の内外を一巡した時に、いかなる意図によって、この邸宅が設計されたか、了解に苦しんでしまった。


台所を通過して、邸内の奥に入ると、客人部屋はいうに及ばず、広大な住宅が各所に建っている。庭も三カ所ぐらい、入念な泉石の布置をもったものがある。

驚いたのは、裏門である。

淙々たる相生川の河岸に面し、数株の老松を前景に、何万石の大名の居城といっていい規模と外観の中央に、厳めしい金具を打ちつけた大名門が、裏門なのである。





小説「てんやわんや」






ここが大畑旅館。

獅子文六が「てんやわんや」を書いた部屋があることでも知られ、また岩松の元名家・小西家の邸宅の一部でもある。









岩松川東岸には獅子文六が生活していた時代を彷彿させる雰囲気が残っていた。






訪ねてみて、岩松は落ち着いた感じの町だった。







岩松は大正から昭和の初期に隆盛を極めた町。



木炭・ハゼ・米・繭・イワシなどを集散し、山間部や海辺の村村を束ねる町として町並みができたそうだ。







隆盛を極めた町から、はやくも80年が経たち、今からは岩松は静かに安楽して消滅してしまう町のように思えた。


でも、それは岩松に限らず、主要都市を除けば日本全国どの町にも村にもいえることになるなあ。





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2009年10月24日