2009年7月4日 13:56〜15:16
鳥取県鳥取市 鳥取城址・久松公園
「餓鬼のごとく痩せ衰えたる男女、柵際へより、もだえこがれ、引き出し助け給へと叫び、叫喚の悲しみ、哀れなるありさま、目もあてられず。」(信長公記)
(鳥取城山上の丸)
今から430年前(天正8年・1580)、鳥取に米買い商人があらわれ市中から高値で買占め、城の米蔵さえもいくらか売り出した。
米買い商人が去った後で、羽柴秀吉の2万の大軍がやってきた。
鳥取城を囲み、海上と河川水路を遮断した。
またたくまに兵糧が尽きた鳥取城内では、家畜を食いつくし、草を食い、死者の肉を争って食べ、城壁を壊して藁を食べ、という叫喚地獄に陥った。
城主・吉川経家が自決して鳥取城は開城した。
(鳥取城山上の丸)
開城が決まり、城内の人々を不憫に思った羽柴秀吉は炊き出しを行い食物を与えた。
それを食べた過半の人が(縮んだ胃でいきなり大食)頓死した。
(鳥取城山上の丸・天守台)
羽柴秀吉の城攻めで有名な「三木の干殺し」「鳥取の渇殺し」。
えいちゃんは「鳥取の渇殺し」があった場所に行ってみたかった。
鳥取城から見る千代川の方向。
(鳥取城山上の丸・天守台)
日本海も鳥取大砂丘も見えず、鳥取市内でさえ見えない。
(鳥取城山上の丸・天守台)
とにかく今日は「鳥取の渇殺し」の城に来ることができた。
(鳥取城山上の丸)
降りよう。
雨で滑らないように、
どんどろにやられないように。
山麓まで下りてきた。
(鳥取城山麓・天球丸)
鳥取城山麓はいくらか復旧と復元の工事をしているみたいだ。
江戸時代には32万石の池田藩の城下。
(鳥取城山麓・二の丸南側)
えいちゃんが思いを馳せていたのは山頂の城。
今の城跡が山頂と山麓にあるけど、山麓の城は江戸時代で、山頂のうちのいくらかが戦国時代と思われる。
戦国の遺構が山頂にどれだけ残っていたのかは知らない、でも山頂で「鳥取の渇殺し」がくりひろげられた日があったことは史実。
(鳥取城山麓・三の丸より振り返る)
鳥取西高校の校庭に戻った。
タオル二枚で身体を拭いた、それでも身体からはしずくが落ちていた。
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2009年7月8日