2009年6月26日  午前8:15〜11:00
笠岡市甲弩   「北川の史跡・文化財ガイドマップ」北川の昔を訪れる会(平成21年6月) により史跡を走った



尾坂川に架かる師輔橋を渡る。



休耕田ひとつない見事な水田がひろがる。



北川平野。




北川平野は笠岡市内では、「条里制」の代表する遺構の田んぼ。



けれど  23・甲弩耕地整理施工記念碑  の際、甲弩の条里制遺構は無くなったそうだ。



北川平野のうち走出の井立と山田には残っているそうだ。








師輔橋を振り向けば阿部山が急峻にそびえている。









田んぼの中を小田川に向かって進む。
















小田川の土手にきた。これより上流方向へすすむ。














ここ付近が”小田の渡し跡”。





笠岡市に唯一存在する”流れ橋”の「北畑橋」。

たぶん、渡しが廃止されたのでその航路の近い場所に「北畑橋」は出来たのだろう。



(笠岡市甲弩と矢掛町小田に架かる流れ橋・北畑橋)













共栄橋を過ぎた。






小田川にはおばさんが流れの中に腰かけて何かすくってはすすいでいる、何をしているのだろう?


シジミ取りだろうか?





小田のkさんに聞いてみたら「シジミです。小田では取る人が少ないですが三谷に行けばもっといます。」ということだった。

小田の人は水質など気にしてあまり取りにいかないそうだ。










30・井笠鉄道矢掛支線鉄橋跡  辻












写真↓の田んぼが円形になっている、ここが井笠鉄道矢掛線のレール跡。

写真中央の赤い北川小学校校舎の近くに北川駅があったので、この地点から旧北川駅までの線路跡は容易にたどることができるかといえばそうでない。


水田化で線路跡を想像することができない場所が半分を占めている。





鉄橋建設は極力避けて路線建設をした井笠鉄道。その全路線で最大の小田鉄橋。



今は橋脚跡も残らず、写真と映像と人の記憶の中だけに残る。 


北川の史跡・文化財ガイドマップより










終りにあたり、


このように北川にはすばらしい風景・文化・史跡がある。この30以外にも多くの文化財が残っている。


でも、えいちゃんが思うに一つだけ欠けているものがある。

それが笠岡市への「北川合併騒動」。あれから半世紀が経っている。



あの事件を体験した人たちは今、その事実を語り継ぐのも責務だと・・・・・思うけどなあ。






つぎ・新山














2009年7月2日