2009年6月5日  午前9:45〜12:00
岡山市北区御津町金川  臥龍山・玉松城跡


昨夜降った雨で少しだけ滑りやすかった。


それにハミの心配もあった。



しかし、ハミの心配はすぐ忘れてしまった。

急登・急登・急登、

しんどくてハミは頭からすっかり離れていった。









休憩所があった。そこが「二の丸」だった。









「二の丸」から見る宇甘川。でも展望はこの一角だけ。












山中に井戸の跡があった。

「杉の木井戸」跡。山城のにおいがする。










やがて「本丸1の門・2の門」跡。

”枡形”はそうとうに崩れ過ぎて、専門家でないかぎり判別が不明な状態。














やがて山頂についた。





山頂はひろく、石垣に使ったような石が単体でごろごろしていた。








城主松田氏のお墓だろうか?

滅亡後450年、それにしては五輪の塔は新しい。





戦国時代、

備前国は松田氏と浦上氏の勢力が強かったが、松田氏は城主の妻の父(宇喜多直家)に攻め滅ぼされた。










山頂で弁当を食べた。



ひろいけど、うすぐらい山頂。展望はまったくない。そういう事情もあり弁当はハラに通すだけになった。







下りよう、なんか物足りんな。




麓から見あげる臥龍山の雄姿から想像した金川城とはえらい違いじゃのう。






とぼとぼとぼ。







上りも下りも木木の緑だけはすばらしい。




この頃、男性(単独)と出会った。それが登城・下城で会った唯一の人だった。







やがて再び展望が見える場所があった。



やはり宇甘川方向がちょっと見えるだけ。




そこが「道林寺丸」と呼ばれる場所で石垣が残っている。













妙覚寺の甍が見えてきた。これにて臥龍山登山または玉松城登城はおわった。









家に戻ってから再度
ウィキペディア「金川城」”日本最大級の遺構が確認できる”をパソコンで見てみた。




すると、そこには、・・・・それは”井戸”の遺構のことであった。




つぎ・御津町金川B














2009年6月9日