2009年2月11日 午前8:40〜12:00
笠岡市山口 新山公民館「第10回 にいやま史跡探訪ウオーキング」
月日が経つのは早く、初めての参加から6年連続6回目の「にいやま史跡探訪ウオーキング」となった。
主催の「にいやま文化を楽しみ育てる会」のT会長さんは、
「私は昭和3年生まれですから、今年で80歳になりました。」と挨拶された。
午前9:00ちょうど、新山公民館を出発した。
参加者は160人、天気は快晴でないけど晴れ。
風はほぼ無し、のウオーキング日和。
これは「親孝行石」。
江戸時代・大島柴木村の農民で孝子・下原甚介。
その畑にある丸い石を、
山口の住民T氏が大正11年自分の屋敷に持ち帰り「孝行石」と彫り建てた。
当然、今も個人のお宅の庭に建つもの。
この新山の住民でもこういう機会でないと見れない。
ここは新山ではあまりに有名な「土倉邸」。
大庄屋・土倉邸の前には「高札場」もあったそうだ、
でも跡方はまったくない。
土倉邸に入る。
さすがの大庄屋・土倉邸の庭も160人がいちどに入れば窮屈。
今日の160人のうち、5〜6名の方が子供のころセミを捕ったりかくれんぼして遊んだことがあるそうだ。
ということは、
もう、
土倉氏は新山を離れて半世紀は経ている感じだ。
土倉氏は三代にわたり「新山村村長」を務めたり、「土倉果実園」を開き栽培技術を高めたり、子女(土倉恒先生)が東京女医学校に進んだ。
今に残る土倉会館や新山小・新吉中の寄付施設は、この土倉恒先生によるものだそうだ。
ここは医院跡。
明治より、ここ新山村で戦後まで医院を開業していた。
新山尋常小学校跡。
明治39年に現在の新山小学校の地に移転したそうだ。
尋常小学校跡にはろうばいの花が咲いていた。
元尋常小学校は今は個人の敷地となっている。
その民家の裏は畑で、
尋常小学校当時の井戸が残っている。
2009年2月11日