2008年12月27日 | 下田水港 | ⇒ | 糸山 | ⇒ | 波止浜港 | ⇒ | 来島 | ⇒ | 小島 | ⇒ | 馬島港 | ⇒ | 下田水港 | ⇒ | 多々羅温泉 | |||||||||
愛媛県今治市 | 9:35 | 10:30ころ | 11:10 | 11:15〜12:50 | 12:55〜14:10 | 14:20 | 15:10ころ | 16:00ころ |
北部砲台と中部砲台をむすぶ道は椿の道だった。
時折、きれいな海辺も見える気持のいい道だった。
そして中部砲台跡に着いた。
中部というよりは中央という感じを受ける、北部より規模が大きそうだ。
地下兵舎跡。
地下兵舎跡へつづく砲座の左右。
明治中期の頑丈な造りが印象的だ。
明治の軍人がいかにロシアを恐れていたがが伝わってきそうだ。
そして逆に、・・・・・昭和の軍人がいかにわきまえが無く愚かであったのか、それを同時に思われる。
ここに28センチ砲が据えられていた。
その砲は、日露戦争の時旅順の203高地へ運ばれ勝利に貢献したと上の説明書に書いてある。
この石段を登ると司令塔跡、兼現在展望台となる。
ここが司令塔の場所。
ロシアの艦隊から大阪の街を守る芸予要塞。
もしこの要塞が破られたら、次は淡路島から先にすすませないように”由良要塞”というのが淡路にあった。
中部砲台から山を下りて行った。
やはり来島海峡には渦が巻いている。
今の小島は人口がおよそ30人。
農業・漁業・海運業で生活しているそうだ。
漁港には漁船が繋がれてあったが、
(えいちゃんの滞在時間1時間10分では)
老いた婦人の姿以外に島民をみることは無かった。
2008年12月30日