2008年11月22日 午前11:00ころ
岡山県瀬戸内市長船町
福岡の妙興寺。
ここに黒田官兵衛(または孝高、または如水)の先祖墓がある。
これが黒田官兵衛の先祖墓。
官兵衛の子・長政は筑前52万石の城下町を「福岡」と名づけた。
その後、備前福岡は商人は岡山城下に移ったり町は吉井川の氾濫で被害を受け大都市から一部落となった。
この妙興寺には宇喜多直家の父の墓もある。
妙興寺の前にはテントが並んでいる。明日、福岡市がある。どんな現代福岡市なのだろう?
これが福岡の市跡の記念碑。
そこに掲示されてある「福岡の市」。
えいちゃんが中学か高校の時の教科書に載っていた、「一遍上人絵図」。
町は今でも縦横の形で残っている。
福岡の町並み。
七つ井戸。
福岡には酒につかう程の良水が湧いていたそうだ。
その七つあった共同井戸の一つ。
井戸の前には白壁の倉があり、井戸の後ろは水田がひろがる。
福岡の繁栄と衰退の元になった吉井川。
土手に登って吉井川を見てみよう。
ああああ。
土曜日の昼前の吉井川河川敷はゴルフをする人たち。
川の流れを見ることはできなかった。
2008年11月23日