2008年8月15日  午前 11:40〜12:10
笠岡市笠岡 古城山

63年前の8月15日はじりじりと照りつける暑い日だったという。

今日もそんな天気の2008年8月15日になった。


その日を偲び、そして英霊にたいし黙祷をしよう。そう思って城山に登ることにした。



(この写真はシーサイドモールから)




その当時、それぞれの人たちはどういう思いでラジオ放送を聞いたのだろう。









その当時、それぞれの人たちはどういう生活をしていたのだろう。









まだ2歳児だった姉は「飛行機が飛んでくると泣いていた。」と昔、近所のおばさんがよく言っていた。
飛行機は敵機であり、攻撃してくるのを示している。





戦後すぐ復員した父は、「家に帰ったきたら、百姓なのに食べる米も無かった。」と家族の生活に愕いたそうだ。
それで再び岡山に行き、処分済みということになっている軍の米や衣類を自転車いっぱいに積み込み、ぶらさげ、岡山から戻ったそうだ。
















ちょど正午になった。


えいちゃんは黙祷した。





城山に自動車で登ってきたカップルがいた。
ひとり黙祷するえいちゃんにびっくりしたのか、それともこの地に興味がなかったのかすぐさま下りて行った。










戦後63年。


暮らしも町も変わってしまった。


笠岡の町も昭和20年と変わらぬ姿は山陽本線だけだろうか。

井笠鉄道や大和座はなくなった。
2号線や跨線橋は無かった。





戦後に生まれたえいちゃんでさえ、

着る物を楽しむ・・・・身体に着るものでなく、おしゃれをするもの
食べるのを楽しむ・・・生きるために食べるのでなく、美食とかを楽しむもの
住むのを楽しむ・・・・各々が個室を持つこと




そういう時代がくることなど想像もしたことはなかった。





つぎ・干拓地のひまわり畑@A














2008年8月16日