2008年7月19日 午前9:15ころ
赤磐市山陽町 史跡・両宮山古墳
もう30年も、前のことだったな。
大和ハウス工業が社運を掛けた自社開発の大型住宅団地が始まろうとしていた。
赤磐郡の熊山町と山陽町の山を切り開いて造る「岡山東ネオポリス。」
その岡山東ネオポリスの工事が始まる頃、およそ一ヶ月ほどえいちゃんはこの道を毎日仕事で通っていた。
その道には「両宮山古墳」と呼ばれる遺跡が面していた。
「両宮山古墳」は岡山県下では唯一前方後円墳の堀が残る、そして県下第三の規模を誇るという古墳だった。
両宮山古墳の県道を挟み前にある「森山古墳」。この古墳が田園地帯の中に非常に目立っている。
いっぽう、県道から見る両宮山古墳といえば↓。こんなもの。 前方後円の後円が山に見えるだけ。
説明書あっての「両宮山古墳」なのだ。
両宮山古墳の前には常設市があり、そこが市場兼古墳の駐車場。
では、県下唯一のお堀(または濠)を見てみよう。
古墳の堤防を登る、
これが両宮山古墳の堀(周壕)。
(周壕・西から東を見る)
1500〜1600年間も水を湛えてきた両宮山古墳の堀。
(周壕・北から南を見る)
全長は90m。
5年前の発掘調査では元は二重堀であったことがわかったそうだ。
推測の総長は330m。
造山・作山古墳を抜いて県下一の古墳に昇格する可能性もあるらしい。
(周壕・南から北を見る。)
そして両宮山古墳の北。
和田・茶臼山古墳。
両宮山古墳のすぐ北の田んぼの中にある。
最近の研究では、
和田・茶臼山古墳も両宮山古墳にも二重の周壕がされていたそうだ。
両宮山古墳から東へ数十メートル。
そこには「備前国分寺」跡。
総社にある備中国分寺、神辺の備後国分寺、そしてここ山陽町の備前国分寺。
旧吉備国のうちでは、
いちばん形が残っていないけど、
これはこれで、周囲の遺跡や景観ともあせ、よく古代を偲ばさしてくれている。
2008年7月23日