2008年5月11日  午前10:00〜10:50ころ
笠岡市用之江〜福山市大門町野々浜〜津之下



昭和16年、大津野村の牛の首の塩田跡地に「航空局水上機乗員養成所」が建設されることになった。


練習機赤トンボは格納庫がなく、
茂平に2〜3機、神島見崎に10機程度を隠していた。

昭和20年になると米軍の機銃掃射攻撃を2〜3度、受けている。




日本鋼管福山製鉄所の1号高炉が完成し、2号・3号高炉が工事中の頃。


鋼管の福山製鉄所には三っつの門があった。それが西門・正門・東門。


今、JFE西日本製鉄福山製鉄所には五つの門がある、
それは笠岡門が出来て、最後に中門ができた。


中門の前に大日本帝国の海軍の水上機の航空基地があった。




えいちゃんはまだ小学2年生で。

元、その海軍の施設を見ても何も面白くもなく、
ただ料理部屋で・・・・今まで見たこともない・・・大きなクドと釜にびっくりした思いがある。



やむなく元飛行場の前の砂浜で海に石投げをして時間をつぶした。



あんまし、楽しい遠足地ではなかった。







道は大門駅への踏切の直前で左折する。




野々浜の元は古堤防の道を海に向かって行く。




民家は山側に沿ってあり、その前はすべて一面田んぼだった。




深安郡大津野村野々浜。
このあたりは今、福山市大門町7丁目。

野々浜の地名は大半が消滅した。







塩崎神社の横を通る。
海は近い。




野々浜港。
野々浜は漁業が盛んというほどではなかった。農業が主。








野々浜港より堤防の道を津之下へ向かう。

堤防の前は青い瀬戸内海の海だったが、今はUFJの緑の森。







堤防を渡ると津之下。

この道は昔からまったく変わっていない。
道の下は白波がたつ海だった。







ここが元・海軍の飛行場。





今日は9時半から、
「2008 JFE西日本フェスタ in ふくやま」がはじまっている。





つぎ「・2008 JFE西日本フェスタ in ふくやま」














2008年5月13日