2008年3月1日  午前11:30ころ
倉敷市真備町 小田郡矢掛町  猿掛城

猿掛城への道はよく整備された登山道だった。









登山とちゅう、
おじさんを一人抜いた。

さかんに山からの景観を写していた。

「いちの目的は写真ですか?
お城ですか?
やまのぼりですか?」



「昔は登山をしていました、けれど身体が老化して今はできません。
こうして小山に登り健康を維持するようにしています。」

そういうお方だった。









登山標識もあり、迷うことはない。ひたすら上に登るだけ。








城跡はまず。

「六の丸」からはじまる。








つぎ、
「五の丸」、
そのつぎ、
「四の丸」
「三の丸」
「二の丸」
最後
「本丸」へと階段状に上に上に。



城郭の素人でもその遺構は目の前につぎつぎと現れるので、中世の山城の雰囲気がじゅうぶん伝わってくる。



(二の丸に残る井戸跡)



この備中猿掛城は、

庄氏という豪族の山城。


庄氏はこの地方に、鎌倉時代から栄えたが戦国時代に滅亡したそうだ。






(本丸から総社方向を見る、
山道も本丸跡も樹木の伐採が行き届いていた)

庄氏の滅亡後。

毛利氏の本陣となった日があった。


それが豊臣秀吉の高松城水攻め、
毛利の本陣として大軍がいっとき陣取った。

そういう由緒ある猿掛城とのことであった。









つぎ・田頭竜王神社道














2008年3月6日