2008年3月9日  午前9:40ころ
愛媛県越智郡上島町生名村 生名港


生名小学校から旧生名村役場まで、道はゆるやかなカーブで、その海側は雁木状のコンクリートになっている。



「生名島」は、「いきな島」でなく「いきな」と言う。


最初、因島育ちのAさんに「こんどの日曜日、生名島に行ってきます。」といえば「生名ね」。
因島土生港の時間表なども、すべて「生名」

生名島についても商店はすべて「生名」、
港も「生名」、学校も「生名」、商工会も「生名」、農協・漁協も「生名」。

よく見れば行政も住居標示もすべて「生名」であった。




生名”島”というのは、島であることを意識した場合にのみの使い方。




立石港から生名港まではおよそ1kmくらい。

その間、対岸にはいつも因島の造船所が見えている。









上島町生名総合支所から突き出すような山があったので登ってみた。



その山から生名港を見る。






その山には桜の木に囲まれて、立派な土台の石碑があった。

『報海団 濱田xx(←記憶忘れ)』


立派な土台がけど上に・・・濱田の像が・・・・載ってない。








その濱田氏のことを生名港で船を待つ婦人に聞けば、
「私は、あの山の向こうに住んでいますので、この港のあたりのことは・・・・・。」わからない。


その後、会場へ行く途中二人連れの老婦人がいたので歩きながら話した。




「あれは濱田xxxいうて、この島の有名な人です。

像はシンチュウで出来ていました、それじゃから供出されてしまいました

映画にもでました、
映画はあの山(手で指差し)のあたり、そこで本人がでていました。」



「えっ、古い映画なのによく覚えていますね。」

「さいきん、そこの学校の講堂で島の人たちに映画を見せてくれました。はっはっは。」 (えいちゃん納得)














生名港には漁船が繋がれ、
談笑する漁師さんたちの姿もあった。




でも、
生名島にどうしてフェリーの港が生名港・立石港と二つあるのか、その存在意義はわからない。




つぎ・立石山@A














2008年3月12日