2008年3月9日  午前8:43〜午前10:14
愛媛県越智郡上島町生名村 「第21回いきな島一周マラソン」


生名島の立石港から歩いて会場に行った。


笠岡を出るときはいい天気だったが、
尾道くらいから雲が多くなった。


でも、風はないし、気温もちょどいい。







ゆっくりと海岸道を歩いていくと学校があり、
体育館の前が受付のようだった。







そこでハガキを出そうとしたら、テーブル前にはこぼれるような笑顔が並んでいた。




ゼッケンや参加名簿が入っている紙の小袋には真っ黄色なレモンが二つ入っていた。







校庭には伊予柑や八朔が売られていた。



えいちゃんも買いたかったけど、
今日はレース後立石山に登るし、荷物は増やせない。







「タオル3枚100円」
これなら荷にならない。



「あんまり安いので買う気になりました。」

「100枚でも1000枚でも買って! 買って!!」




車で来ていればそうするんだがなあ。
ミカンも含め来年は車で来よう。









会場には地元選手や島民が集まり、
話に花を咲かせていた。











やがて、最初の種目3キロがはじまった。
少年・少女や大人たちが出場、そしてゴール。


大人は、ゴールした後の言葉がほぼ一致していた「死にそうじゃった。」 

そうだろうなあ。






大会は島民主催で選手も島民が主役。
それが”生名島に来た”という感じにさせてくれる。


生名島にはほぼ海岸に沿って一周道がある。その全長は8キロ。

そのため「いきな島一周マラソン」の10キロには2キロほど不足する、
その距離ぶんは山道を登って行き、そこでUターンして一周道路に戻る、そういうマラソンコースとなっていた。


先導車はマイク付き、、
「ただいま120人の大選手団が出発しました。」
それが10キロマラソンのスタートだった。


海辺の道はとことどころミカン作業中の方が応援してくれたりした。

海岸道は平坦部でいつも海。
切通しの道の部分もあり、そいうゆうとこは坂道であり山になっている。


中間点くらいに老人ホームの人々が全員で応援してくれた。
それが会場以外では最大の応援だった。


周回が終わり、生名小の運動場に戻りゴール。計測機はない。
校庭のバザーの良いにおいが走り終わった身体にここちいい。





つぎ・第21回いきな島一周マラソンA














2008年3月11日