2008年1月13日 午前9:00〜12:00
総社市 岡山市 倉敷市 「吉備路サイクリングロード」
築造当時、
日本最大、全長350m、高31m。
「造山古墳」。
現在は日本4位の規模の前方後円墳。
ぐるり半周するように走る、とにかく大きい。
日本最大の古墳が何故ここ(岡山県岡山市高松)にできたかといえば、
この古墳は天皇の墓ではない。豪族の墓。
前方後円墳時代は統一国家ではなかったんだね。
笠岡に来た応神天皇(紀元300年頃)は勢力拡大のためだったのだろうか?
(巨大な前方後円墳は宮内庁が管理している、
しかし造山古墳は皇族の墓でないので見物自由。)
本日、
風なし、日差しはしょうしょう、絶好のマラソン日和。
この吉備路サイクリングロードは総社市・岡山市・倉敷市をはしる。
3市から成るいうとこが、道に微妙に差があり。
総社市ではほぼ完璧に道路標示があり、
岡山・倉敷市では無視されたような道になっている。
その統一は↑の写真に写るように道べりに低木のツツジなどを植えている。
縦横にある農道との違いはそれだけ。
(しかし、・・・、それに気付いたのはほぼ走り終わるころだった)
足守川、
その上をはしるは岡山ジャンクション。
足守川の土手道を走った、
そこに、
「明治天皇惣爪御野立所」
天皇が野立をすれば『御野立』となるのだな。
しかも、それは『文部大臣指定』(昭和11年)と石に彫られてある、
ふーーーーん、たった野立で「文部大臣指定」の史跡となるのか!
しらべると、
「御野立」は日本帝国陸軍大演習の際、天皇が指揮した場所に残っている。
では金光にも御野立の碑が残っているのだろうか?
昭和6年福山連隊と岡山連隊は東西軍として中間の金光で激突した、
(その福山からの行軍を見た父はそうとう想い出深い出来事であったようす)
金光町八重山に陣取った昭和天皇ではあるが『御野立』の碑は出来なかったようだ。
2008年1月14日